コラム

二階幹事長「他山の石」発言の本当の問題点

2021年03月29日(月)20時00分

ここで、「他山の石」の出典となった『詩経』を確認してみよう。『詩経』は中国最古の詩集で四書五経の一つ。国風・雅・頌の三編からなるが、「他山の石」は雅(小雅)の「鶴鳴」に登場する。次のような内容だ。

鶴鳴于九皐 聲聞于野
魚潜在淵  或在于渚
樂彼之園
爰有樹檀  其下維擇
佗山之石  可以為錯
 
鶴鳴于九皐 聲聞于天
魚在于渚  或潜在淵
樂彼之園
爰有樹檀  其下維穀
佗山之石  可以攻玉

故白川静・立命館大学名誉教授によれば、その意味は、

「澤深く 鶴が鳴き その声が野に透る 魚は淵にひそみ 時に渚に遊ぶ 樂しい園に 樹(う)えた檀がある その下には落葉 他山の石も 我が玉を磨くべきぞ

澤深く 鶴が鳴き その声が天に透る 魚は渚に遊び 時に淵にひそむ 樂しい園に 樹えた檀がある その下には楮(こうぞ) 他山の石も 我が玉を磨くべきぞ」

というものだ(東洋文庫『詩経雅頌1』(白川静訳注)平凡社1998、130-132ページ)。

鶴鳴(かくめい)は、明治期文明開化の象徴とされた鹿鳴館(現・千代田区内幸町)の鹿鳴(ろくめい:宴会の意)ほど有名ではないが、野や天に鶴の声が通ること。鶴の姿は見えないことが多いので、才能があるが世間から認められていない賢者を例えて「鶴鳴之士」とも言う。楮は梶の木(クワ科)の植物で、この詩では雑木の意味だ。「錯」は砥石、「攻玉」は玉を磨き切磋すること。ちなみに「檀」は香木の名前で、「まゆみ」と読む。

白川静によれば、「詩意の明らかにしがたいところがあるが、他山の石を以て切磋することをいうのは、教誨の旨と解してよい」とされている。教誨(きょうかい)とは、刑務所の教誨師と同じで「教え諭す」という意味であり、単に自然の美を謳い上げた祭事詩にとどまらず、教訓を記した詩ということだ。

つまり、「他山の石」はやはり「人の振り見て我が振り直せ」という教訓に限りなく近い意味を持つというべきであり、このような『詩経』の原義に忠実であるならば、「他」とはまさしく「他の人」(自分以外の人)と解するべきということになろう。

とすると、今回の二階幹事長発言は少なくとも言葉の意味としては正しいと思われるが、いかがであろうか。

なお、「他山の石」について、「在野の賢人を迎え入れる」意味だとする解釈や、新婚を祝福する句だとして「嫁ぎし他国の娘も、玉を磨く砥石のごとく立派な妻となろう」とする解釈もある(『新釈漢文大系111 詩経 中』石川忠久著、明治書院1998、269ページ)。

当事者意識を持って説明・再発防止できるか

とはいえ、河井前法相夫妻による買収原資となった1億5000万円の実態解明という点で、国民の納得が得られる説明はいまだ尽くされていないことも事実だ。今回の幹事長発言は、「他山の石」という言葉の解釈が正しいかどうかが本質なのではなく、正しい意味の用法であったとしても国民から批判を浴びてしまうという、その政治状況こそが本質的な問題だ。

河井前法相は3月25日に発表した所感で、「皆様の信頼を裏切ってしまったこと、万死に値すると考えます。お金で人の心を「買える」と考えた自らの品性の下劣さに恥じ入るばかりです。この度の件については、裁判の場で誠心誠意丁寧に説明責任を果たして参る所存です」と述べている。

今回の選挙買収事件は民主政の手続的正当性という根幹を揺るがすものだ。買収資金の出所詳細も含めて、事件の実態を解明することが必要であり、河井夫妻の冷徹な切り捨てで終わりということにはなるまい。「政治とカネ」を巡る問題が相次いでいる。自民党は当事者意識をもって丁寧に説明責任を果たした上で、再発防止策を具体化しない限り、今回の事件を「他山の石」とすることは難しいだろう。

ニューズウィーク日本版 コメ高騰の真犯人
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年6月24日号(6月17日発売)は「コメ高騰の真犯人」特集。なぜコメの価格は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

北島 純

社会構想⼤学院⼤学教授
東京⼤学法学部卒業、九州大学大学院法務学府修了。駐日デンマーク大使館上席戦略担当官を経て、現在、経済社会システム総合研究所(IESS)客員研究主幹及び経営倫理実践研究センター(BERC)主任研究員を兼務。専門は政治過程論、コンプライアンス、情報戦略。最近の論考に「伝統文化の「盗用」と文化デューデリジェンス ―広告をはじめとする表現活動において「文化の盗用」非難が惹起される蓋然性を事前精査する基準定立の試み―」(社会構想研究第4巻1号、2022)等がある。
Twitter: @kitajimajun

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イラン主要濃縮施設の遠心分離機、「深刻な損傷」の公

ワールド

欧州委、米の10%関税受け入れ報道を一蹴 現段階で

ワールド

G7、移民密輸対策で制裁検討 犯罪者標的=草案文書

ワールド

トランプ氏「ロシアのG7除外は誤り」、中国参加にも
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 3
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 4
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 7
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    コメ高騰の犯人はJAや買い占めではなく...日本に根…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story