コラム

慰安婦訴訟、国際社会の「最新トレンド」で攻める韓国と、原則論で守る日本

2021年01月08日(金)21時09分

そしてそれこそが今回、元慰安婦等が敢えて日本政府を相手取って裁判を起こした理由でもある。何故なら、自らがセックスワーカーとして働く事を余儀なくされた元慰安所を訴える事の出来ない彼女等にとって、訴える事のできる相手先は事実上日本政府しか存在しなかったからである。

訴訟の広がりを限定して来たもう一つの要因には時効がある。韓国民法における消滅時効は3年であり、故に遠い過去の出来事に対して、ある判例を根拠に裁判を起こす人々は、少なくともその判決が出てから3年以内に訴訟を提起する必要がある。何故なら時効の起算点が遅くともこの判決が行われた日になるからである。

例えば、元徴用工等の日本企業に対する慰謝料等の請求においては、人々は遅くても大法院の判決が確定した2018年10月から3年後、つまり、今年10月には裁判を開始しなければならない。つまり、裁判所の新たな判断が出ない限り、元徴用工問題に関わる裁判の広がりは、実は遅くとも今年秋には一段落する筈、だったのである。

しかしながら、日本政府に対する「主権免除」を否定した今回の判決により、韓国の人々には少なくともこれから更に3年間、植民地期の出来事と、その「反人道的不法行為」の存在を根拠にして、今度は日本政府を相手取った裁判を行う機会が生まれた事になる。

当然の事ながら、日本政府の責任を問う裁判においては、自らがどこの企業に動員されたか等を証明する負担も存在せず、訴訟はこれまでより遥かに容易に行える様になる。

韓国政府も手は出せない

そしてそこに更に悪いニュースがある。それはこの裁判において、「主権免除」を理由に韓国の裁判所の管轄権を否定する日本政府が、控訴の手続きを行わない事を表明している事だ。当然の事ながら、裁判に敗訴した被告側が控訴しなければ──原告側が「より大きな勝利」を求めて自ら控訴しない限り──裁判結果は直ちに確定する。

そして裁判結果が確定すれば、日本政府がこれを認めようと認めまいと、その後は自動的に韓国の法に基づいて手続きが行われる。即ち、今度は企業ではなく、日本政府自身の資産、例えば大使館や領事館等の資産が差し押さえられ、「現金化」されるという手続きが進む訳である。

そして更に重要な事は、司法による判決が確定してしまえば、韓国政府、より正確には行政府にこの問題についてできる事は殆ど何もない、という事だ。何故なら、仮にこれを妨害すれば今度は裁判で訴えられ敗訴するのは韓国政府になってしまうからである。

文在寅政権の任期は残り1年4カ月。レイムダック化を目前にするこの政府がこの様な状況で自らリスクを取って、日本との関係の為に火中の栗を拾う事は考えにくい。それでは日本政府はずるずると自らの資産を差し押さえられる事となる。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請1.8万件増の24.1万件、予想

ビジネス

米財務長官、FRBに利下げ求める

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story