コラム

イギリスを襲った悪夢の「郵便局スキャンダル」

2022年02月24日(木)19時05分
裁判で無罪が証明されて喜ぶ人々

イギリス中で多くの郵便局長が横領の罪を着せられてから20年。裁判では無罪が証明されつつあるが Sky News-YouTube

<イギリスの地味で真面目な郵便局長たち700人以上が、ソフトウェアのバグのせいで横領の罪を着せられていた──20年たっても解明されず、知れば知るほど不快な史上最悪の冤罪事件の公聴会がイギリスで始まった>

ほとんどいつも僕は──心のほんの片隅で、ではあるが──「自由社会」に暮らしていることをありがたく思っている。選挙権を行使でき、法の支配があり、自分たちの人生については概して自分に決定権がある社会だ。

だが時折、その前提に不快な衝撃がもたらされる。自分で自分をだましているように感じられ、巨大な力に牙をむかれ、どうあがこうと太刀打ちできない「カフカ的」悪夢にいつ落ちてもおかしくないと思わずにはいられないような出来事だ。

「ウインドラッシュ・スキャンダル」は、そんなゾッとする出来事の一例だ。イギリスの市民(特に1948~1973年に労働力確保のためイギリス政府の招きで合法的に入国したはずのカリブ海諸国の旧大英帝国植民地や英連邦からの移民第一世代)が、2010年になって英政府から突然、滞在資格や就労資格を「証明せよ」と言われて不法移民扱いされるようになり、証拠を示せなければ不利益を受けたり場合によっては国外追放されたりした。

そしてもう1つの例が、問題が始まってから20年たった今になって公聴会が行われている出来事。いわゆる「郵便局スキャンダル」だ。たぶん、この名称は好奇心をそそられたり意味不明に思えたりするだろう(いったい何をしたら郵便局がスキャンダルになるわけ?)。その詳細を見てみると、ばかげているうえに不快な事件であることが分かる。

2000~2014年に、700人以上の郵便局長たちが、郵便局からカネを横領し、不正経理でその痕跡を消したとする「犯罪」で訴えられた。ところが実際は、新規導入のソフトウェアのバグで窓口の現金とシステム上の記録額に不整合が発生していたのだ。なお悪いことに、このソフトウェアを構築した富士通は、問題を把握していたように見える。システムの問題点は、当初から郵便局長たちが指摘していた。

にもかかわらず、何百件もの郵便局長に対する起訴で、システム上の記録は重要証拠に挙げられたものの、単純に考えたって当然提示されるだろうと思うような裏付け証拠は出てこなかった。たとえば被告の郵便局長が突然、高級スポーツカーを購入していたとか、若い愛人に豪華なプレゼントを贈っていたとか、おいしい儲け話の「計画」を吹聴していたとか、個人パソコンで帳簿のごまかし方について何度も検索した形跡があったとか。

罪を晴らせぬまま死亡した人も

この事件は世間の常識とも食い違っている。イギリス人に郵便局長ってどんなタイプ?と聞けば、とことん地味で真面目で誠実な人々だという答えが返ってくるだろう。名の知れた組織で上司を務めるために、そして必要不可欠なサービスを提供するために、パッとしない仕事を一生懸命こなす人々、という認識だ。

そうした職業の人々から悪人が現れる可能性だってなきにしもあらずだが、「コミュニティーの支え手」と思われている人々が、駐車違反すら犯したことのない人々が、突然イギリス中で何百人もずる賢い横領犯に変わってしまうなんて、どう考えてもあり得なそうに思える。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イラン新指導者、負傷で姿見せない公算 外見損傷か=

ワールド

キューバ、米と協議開始 石油封鎖の影響深刻化

ビジネス

米個人消費1月堅調、PCE価格指数前年比2.8%上

ワールド

トランプ氏、プーチン氏のイラン支援を示唆 ドローン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのミュージカル入門
特集:教養としてのミュージカル入門
2026年3月17日号(3/10発売)

社会と時代を鮮烈に描き出すミュージカル。意外にポリティカルなエンタメの「魔力」を学ぶ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ショーン・ペンは黙らない――「ウクライナへの裏切りは常軌を逸している」その怒りの理由
  • 2
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製をモデルにした米国製ドローンを投入
  • 3
    世界の視線は中東から日本へ...企業主導で築くインド太平洋防衛
  • 4
    職業別の収入に大変動......タクシー運転手・自動車…
  • 5
    「イラン送りにすべき...」トランプ孫娘、警護隊引き…
  • 6
    「映画賞の世界は、はっきり言って地獄だ」――ショー…
  • 7
    有人機の「盾」となる使い捨て無人機...空の戦いに革…
  • 8
    北極海で見つかった「400年近く生きる生物」がSNSで…
  • 9
    謎すぎる...戦争嫌いのMAGAがなぜイラン攻撃を支持す…
  • 10
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」と言われる外国特派員の私が思うこと
  • 4
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 5
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開さ…
  • 6
    職業別の収入に大変動......タクシー運転手・自動車…
  • 7
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 8
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 9
    40年以上ぶり...イスラエル戦闘機「F-35I」が、イラ…
  • 10
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 5
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 6
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を…
  • 7
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 8
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 9
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 10
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story