コラム

医療制度NHSに注ぐイギリス人の献身的な愛

2018年07月04日(水)16時00分



NHSは近年の緊縮政策でむしろ資金が枯渇しつつある。6月、政府はNHSへの「誕生日プレゼント」として追加の資金を発表した。その額は一見、巨額に見えるが、実際には総支出額から比べればほんの数%を押し上げてくれる程度。「焼け石に水」という言葉がしょっちゅう使われている。あるコメンテーターは、NHSはその扱う金額の膨大さからみて、イギリス最大の産業と言える、と指摘していた。

僕が奇妙だと思うのは、NHSがいかに無力でいかにイライラのタネになり、いかに官僚的でいかにスピードが遅いか、などについて、イギリスの誰もが語れるネタを持っていることだ。日本で何もかもが非常にシンプルかつ迅速な病院のシステムを経験してきた僕は特に、NHSをついつい愚痴ってしまいがちだ。

でも、もしも僕がイギリス人の大勢いるところで「NHSなんて役立たずだから、全てをゼロから考え直すべきだ」などと言えば、まるで僕がみんなの関心を引き付けてから大きなおならをしたようなお寒い状況になってしまう。

街を歩いていると、「われらのNHSを守ろう」と書かれたポスターを頻繁に目にする。NHSを廃止しようとの声が上がっているわけでもないのだから、これは奇妙に思える。しかも選挙が近いわけでもなんでもない。単に国民がNHSを愛していてそれを形で示したいだけなのだ(実際、ポスターは「私はNHSにもっともっと多くの資金が入ることを支持します」を意味している)。

ひょっとすると2012年ロンドンオリンピックの開会式の「国家の物語」の演出で、NHSの創設の部分にけっこうな長い時間が割かれていたことを覚えている人もいるかもしれない。

僕はNHSのテーマにいつかまたもどってくるかもしれないが、今のところはNHSがイギリス人にとっていかに重要かということを伝えたいと思う。NHSが完璧には程遠いことについては、僕は人並み以上には知っているつもりだが、その僕でさえNHSに強い愛着を感じている。

富裕層でも貧困層でも全てのイギリス人が等しくまともな医療を受けられ、その点で全ての人々が平等だというのは、何とも力強い考えだ。そして今は、イギリスの人々を分断させるのではなく団結させる1つのテーマとしてNHSが存在していることにも、僕は感謝の念を抱いている。

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プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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