コラム

韓国の春に思うこと、セウォル号事故から10年

2024年04月15日(月)20時00分

「セウォル号事件」の悲しみ

韓国の春に新たな記憶が書き込まれたのは2014年4月。大型旅客船「セウォル号」が韓国南部の珍島沖の海上で転覆した。「全員救出」の速報に皆が安堵したのも束の間、それは大誤報だった。家族が現場に向かうなか、傾き始めた船はどんどん沈んでいき、人々が海に飲み込まれていった。テレビカメラはその様子をとらえていたが、誰もが眼の前で起きていることが信じられなかった。

死者・行方不明者は304名、その多くは修学旅行中の高校2年生だった。現場には海洋警察の救助船もヘリコプターもいたのに、沈みゆく船を前に何もできなかった。なぜ、助けられなかったのか。誰もが茫然自失となった。韓国全土が悲しみに包まれた沈没事故は、まさに「事件」だった。

あの日の映像は、今の韓国ではもう見られない。セウォル号事件をテーマにした映画『君の誕生日』が公開されたときも、「船の映像は出てきません」という注意書きを見て、映画館に足を運んだ人が多かった。私もその1人だった。事故当時に自分が無我夢中で書いた原稿すらも、後になって読めなくなった。そこに船の写真が掲載されていたから。それは後になって削除された9.11の映像や、放映段階で泣きながら切り取られた3.11の映像と同じだった。

今も追加される記憶


セウォル号事件の遺族たちは2月から韓国各地をまわり、4月16日にソウルに到着する全国行脚を行っている。 JTBC / YouTube


今年の4月16日で、セウォル号事件からちょうど10年となる。節目の年に、遺族たちは事故現場の海からソウルまで慰霊の行脚をし、また記録集やドキュメンタリーも作られている。そうして、私たちは新しい事実をまた知ることになった。

「やっと話せるようになりました」

その言葉はこの10年間で何度も聞いた。映画『君の誕生日』は、同じ被害者遺族すらも避けてきた母親が、やっと我が子の死に向き合えるようになるまでの物語だった。沈黙したのは、遺族だけではなかった。傷が大きすぎて語れない人もいれば、自分の傷などは小さいからと抑え込んでしまった人たちもいた。

3・11の後の日本でも、そういう話をよく聞いた。

最近、翻訳した韓国のインタビュー集に、事故の1年後に亡くなった潜水士の妻の話が出ていた。遺体収集には民間のダイバーたちがあたったのだけれど、作業の途中で亡くなった人もいたし(偶然ながら友人の高校の同級生だった)、その後に身体や精神を壊した人たちもいた。

ダイバーは犠牲者の最期の様子を見た唯一の人たちだった。沈んだ船の船室で、生徒たちの遺体は肩を組み、抱き合っていることもあり、手をしっかりつなぎ、もつれあっていることもあったという。つないだ手をはずして、1人ずつ抱きかかえて、292人を船から引き上げた。沈んだ船の中で見たことを、自分の家族にも話せなかったという。

「一刻も早く家族の元に返してあげたい」という思いで無理したことで、多くのダイバーが潜水病から骨壊死を起こして、二度と海にもぐれない身体になった。彼らは職業潜水士だったけれど、遺体収容はボランディアで行ったことであり、労災の対象にもならなかった。
そのうちの1人は4月8日の京郷新聞のインタビューで「今もパニック障害・不眠症・外傷後ストレス障害(PTSD)で睡眠薬や精神安定剤など8つの薬を飲んでいる」と語っていた。

過去の事件や事故に対して、「いつまで、そのことにこだわるのか?」という人もいる。でも今になって「やっと語れるようになった」人もいる。春が来るたびに、私たちはそうやって記憶を追加していく。記憶を語ってくれる人は、多ければ多いほどいいと思う。私たちはとても忘れやすいのだから。

プロフィール

伊東順子

ライター・翻訳業。愛知県出まれ。1990年に渡韓、ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。新型コロナパンデミック後の現在は、東京を拠点に日韓を往来している。「韓国 現地からの報告」(ちくま新書)、「韓国カルチャー 隣人の素顔と現在」(集英社新書)、訳書に「搾取都市ソウル‐韓国最底辺住宅街の人びと」(筑摩書房)など。最新刊は「続・韓国カルチャー 描かれた『歴史』と社会の変化」(集英社新書)。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米失業保険継続受給件数、10月18日週に8月以来の

ワールド

中国過剰生産、解決策なければEU市場を保護=独財務

ビジネス

MSとエヌビディアが戦略提携、アンソロピックに大規

ビジネス

英中銀ピル氏、QEの国債保有「非常に低い水準」まで
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 3
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影風景がSNSで話題に、「再現度が高すぎる」とファン興奮
  • 4
    マイケル・J・フォックスが新著で初めて語る、40年目…
  • 5
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 6
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 7
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 8
    「嘘つき」「極右」 嫌われる参政党が、それでも熱狂…
  • 9
    「日本人ファースト」「オーガニック右翼」というイ…
  • 10
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story