コラム

「資産所得倍増」を打ち出した岸田首相「新しい資本主義」の欺瞞

2022年05月13日(金)14時57分

そもそも、投資にまわす貯蓄は誰が準備してくれるのだろうか。2019年の国民生活基礎調査によれば、全世帯のうち40%は貯蓄額が500万以下で、また全世帯の20%は100万円以下だ。さらに全世帯の13%(全体の1%?)は全く貯蓄がない。仮に貯蓄が500万円あったとしても、若年層であればそれは車や住宅の購入資金だったり、子供の教育資金だったりするので、リスクをとった運用はできない。

つまり、いくら政府が資産運用を奨励したとしても、多くの世帯では投資のための種銭を確保できない。仮にささやかな額を投資に回すことができたとしても、高いリスクを取らない限り、老後に必要だとされる2000万には到底満たない額しか増やすことはできないのだ。

その間にも、富裕層は潤沢な自己資金を元手に資産を増やしていく。コロナ禍において、日本人の金融資産の総量は増加したが、資産を増やしたのは元々の富裕層で、金融資産をほとんど持っていなかった層は貯金を取り崩し、むしろ資産を減らしていたことが分かっている。

「資産倍増プラン」といっても、元々資産を持っていなかった層は、それが倍増したところでたかが知れている。一方、既に資産を持っている者はますます資産を太らせることになる。格差社会はさらに拡大するのだ。

投資の奨励は労働者を分断する

さらに「資産倍増プラン」は、実体経済における格差の縮小についても悪影響を与えるだろう。なぜなら、「貯蓄から投資へ」のスローガンによって労働者に投資を促すことは、労働者に労働者の利害だけでなく、投資家の利害も考慮することを強いるからだ。投資家と労働者の利害は常に一致するというわけではなく、多くの場合は対立する。たとえば労働分配率の問題がそうだ。ある会社の利益を労働者にまわすのか、投資家にまわすのか。今世紀の日本では、労働者の給与上昇に比べて役員報酬や株主への配当の伸びが著しかった。

それに対して労働者が経営者に断固たる姿勢で賃上げを要求するためには、労働者の団結が欠かせない。ところが誰もが多かれ少なかれ投資を行なっている社会は、資本家とはいえないような人の精神までも資本主義の論理に染め上げてしまう。そうなれば、ある労働者が自身のささやかな投資のために他の労働者の給与上昇に敵対するという可能性も生じるのだ。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イラン作戦、目標達成に時間 終わりなき戦争ではない

ワールド

イスラエル・UAE主要空港、限定的に再開へ 帰国支

ワールド

中東紛争激化で旅行関連株急落、過去3日で世界で40

ワールド

トランプ氏、イランとの戦争で「大きな波はまだ」=報
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医師が語る心優先の健康法
  • 2
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからくりとリスク
  • 3
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 4
    ドバイの空港・ホテルに被害 イランが湾岸諸国に報…
  • 5
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 6
    人気の女性インフルエンサー、「直視できない」すご…
  • 7
    【台湾侵攻は実質不可能に】中国軍粛清で習近平体制…
  • 8
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
  • 9
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 10
    【トランプ関税はまだ序章】新関税で得する国・損す…
  • 1
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからくりとリスク
  • 2
    村瀬心椛は「トップでなければおかしい」...スノボの謎判定に「怒りの鉄拳」、木俣椋真の1980には「ぼやき」も
  • 3
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医師がすすめる意外な健康習慣
  • 4
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 5
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 6
    少女買春に加え、国家機密の横流しまで...アンドルー…
  • 7
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 8
    中国で今まで発見されたことがないような恐竜の化石…
  • 9
    米国の中国依存が低下、台湾からの輸入が上回る
  • 10
    「若い連中は私を知らない」...大ヒット映画音楽の作…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story