コラム

「建築のジェノサイド」に気付かない日本

2013年09月10日(火)14時59分

今週のコラムニスト:レジス・アルノー

〔9月3日号掲載〕

 鎌倉を世界文化遺産に登録しないように──ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)がそう勧告したことを受け、松尾崇・鎌倉市長と黒岩祐治・神奈川県知事は会見で無念さをにじませた。

 鎌倉市当局は中世の都市としての「物的証拠が不十分」と指摘されたことを認め、私にこう説明した。人類の遺産として保護する価値があると世界に認めてほしいのは、鎌倉を取り囲む山々とその麓に点在する寺院や遺跡だ。そこに日本独自のサムライ文化があると自分たちは考えているが、イコモスにはその意図が十分伝わらず、「武家の古都」とする根拠が不十分だと判断された、と。

 黒岩知事は今回の勧告に「目の前が真っ暗になるような衝撃を受けた」と語った。こんな妥当な判断に衝撃を受けているようでは、知事の体が心配になる。そもそも県の誇る珠玉・鎌倉がじわじわ破壊されていることに気付かなかったとしたら、あまりに無自覚だ。

 シャネル日本法人の社長で作家でもあるリシャール・コラスは長年鎌倉で暮らし、この古都をこよなく愛しているが、あえてこう苦言を呈する。

「鎌倉の素晴らしい日本家屋の多くがこの10年ほどで姿を消した。良くてもあと30年で完全に失われるだろう。醜悪な近代的建築物の中に埋もれる大仏とわずかの寺社以外には、日本の古都の面影は消し去られ、鎌倉はディズニーランドのような作り物の観光地になる。だから、ユネスコは鎌倉の世界文化遺産登録にノーを突き付けたのだ」

■悲劇に気付かない政治家たち

 コラスは鎌倉で、地元の名匠たちの手になる伝統的な日本家屋を建てた。本来ならこれは日本人がやるべきことだ。

 鎌倉市当局は文化遺産を守るために最大限努力をしてきたと言う。都市計画や景観保全の条例を導入し、建物の高さや屋上の看板、外壁の色を規制するなど法的措置を講じてきた、と。

 だが、実態はどうか。実例を挙げよう。鎌倉市は地元住民の強い反対にもかかわらず、観光客が集まり、商店が軒を並べる由比ガ浜通りに葬儀場を建てることを許可してしまっている。

 美しい日本の街並みが急速に失われつつあるのは鎌倉だけではない。京都ではこの30年ほど、「建築のジェノサイド」ともいうべき暴挙が行われてきた。取り壊された町屋はざっと10万軒に上る。おまけに昨年には、憩いの場である梅小路公園の真ん中に巨大な水族館が建てられた。サンディエゴにあってもマルセーユにあってもおかしくないような水族館を、よりによってなぜ京都に建てたのか。

 東京はもはや暮らしやすい都市ではなく、「洗練された平壌」を目指しているようだ。まるで行進する軍隊のように超高層ビルが整然と立ち並ぶ都市である。私が住む新宿区富久町はかつては2階建ての家々が並び、木立が目をなごませる住宅地だったが、今では55階建ての超高層マンションが完成しようとしている。

 こういう建物を建てる会社の経営陣は、高層建築が規制されている田園調布のような高級住宅地に住んでいる。よその地域の暮らしや文化を破壊して、自分たちは優雅に暮らすというわけだ。

 日本は「クールジャパン」と称して、独自の文化を盛んに世界に売り込んでいるが、独自の文化を本気で守る気はなさそうだ。今の政府は自国の伝統に誇りを持つことを旗印に掲げている。安倍晋三首相は「美しい国、日本」をつくると誓った。ならば、歴史的・文化的に価値ある地域を不動産開発から守るべきだが、政府はそうした努力を怠っている。

 このままでは美しい日本は跡形もなく消え去り、日本を訪れる外国人旅行者はがっかりするだろう。悲劇としか言いようがない状況だが、日本の政治家はその重大さに気付いていないようだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イラン、欧州諸国の「破壊的アプローチ」巡りEUに警

ビジネス

英製薬アストラゼネカ、米国への上場移転を検討=英紙

ワールド

米EV推進団体、税額控除維持を下院に要請 上院の法

ビジネス

マネタリーベース6月は前年比3.5%減、10カ月連
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引きずり込まれる
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    世紀の派手婚も、ベゾスにとっては普通の家庭がスニ…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    あり?なし? 夫の目の前で共演者と...スカーレット…
  • 9
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story