コラム

高速鉄道事故は中国にとって吉兆だ

2011年09月20日(火)08時00分

[9月7日号掲載]

 私が初めて中国の高速鉄道に乗ったのは、上海万博が開かれていた昨年の夏。上海から妻の故郷である南京を結ぶ路線に乗ったのだが、乗客がひどく少なかったことに何より驚かされた。100人ほどが乗れる客車に20人ほどしかいない。

 車で4時間かかる上海〜南京間約300キロを、最新型の高速鉄道は1時間10分で駆け抜けた。最高時速は350キロ。同じ中国人として誇らしく感じたが、どうしても日本の新幹線と同じように安心して乗ることはできなかった。何か不安なのだ。乗客が少なかったのは、チケットが高いせいもあるだろうが、いま考えればこの不安感と無縁ではなかったはずだ。

 不安な理由は中国人の私が言うのも何だが、中国人がやっていることを信頼できないから。もちろんまじめな人もいるのだが、特に緻密さが求められる作業で多くの中国人はつい「めんどくさい」と感じ、ルールやマニュアルに基づかず自分の勘でやってしまう。

 私も歌舞伎町というジャングルを勘を頼りに23年間生き抜いてきたが、確かにルールが通用しない場面を切り抜けるとき、中国人は力を発揮する。ただ、決められたルールに基づく細かい作業は苦手だ。今回の事故も、私はこの中国人気質が根本的な原因ではと考えている。

 日本の鉄道技術を海外に普及させる組織である海外鉄道技術協力協会の最高顧問の岡田宏氏は、旧国鉄の技術職トップで、江沢民前国家主席や李鵬元首相が日本の新幹線に乗ったとき隣に座って技術的な説明をしたこともある人物だ。事故から10日後、母国で起きた大事故に頭を抱える私に、岡田氏は「高度な技術の集合体である高速鉄道だが、最後は設備を保守・点検し、車両やシステムを運営する人が重要だ」と教えてくれた。

 200人を超える死傷者を出した事故だが、中国人にとって決して無駄ではない。むしろ「吉徴(吉兆)」かもしれない。それは、この事故が中国が変わるきっかけになるからだ。

■現場で車両を破壊した理由

 今回の事故では、各中国メディアの記者たちが現場から中国版ツイッターの新浪微博を使って情報を発信。先頭車両を砕いて穴に埋めようとしたり、高架橋に引っ掛かっていた客車を強引に地面に落とすといった鉄道省のでたらめな対応を世界に知らせる役割を果たした。さらに中国政府が事故の記事を載せないよう通達を出した後も、いくつかの新聞は当局を批判する勇気ある記事を掲載した。温家宝首相が現場で会見に応じたのは彼らの奮闘の成果と言っていい。これまでの中国ならこんなことは起きなかった。

 かつて孫文は人生に欠かせないものとして、「衣食住」に加えて「行(交通)」を提唱した。メディアが政府に対して強気を貫けるのは、今の中国人が「衣」を除く「食」「住」「行」に対して不安と不満だらけだから。食べ物は毒物入りや偽物が横行し、住宅はバブルで「カタツムリの家」が精いっぱい。そして交通で今回、こんなひどい事故が起きた。この事故は第2の天安門事件と言っていいかもしれない。

 実は、私は中国政府が事故原因をほぼ特定しているのではないかとにらんでいる。現場で車両を破壊したのは、とっくに原因が分かっているから。決して証拠隠しでなく、中国人流の合理主義ゆえの行動だ。それなのに正式発表を今月中旬までしないのは、事故を利用してさまざまな改革を進めたいと考える勢力が政府内部にいるからではないか。

 変化は中国国内にとどまらない。原因調査と再発防止で日本と協力できれば、昨年の尖閣事件以来、険悪な状態が続いている両国関係も良くなるだろう。中国政府が表立って日本側に頼めないなら、水面下でこっそりやればいい。島をめぐるトラブルが海上で続いているなら、地下にトンネルを掘ればいい。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

新潟県知事、柏崎刈羽原発の再稼働を条件付きで容認 

ビジネス

独総合PMI、11月速報値は52.1 2カ月ぶり低

ワールド

EU、域内貿易でトランプ関税に対応可能=ラガルドE

ワールド

化石燃料からの移行、COP30合意文書から削除 国
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判殺到、そもそも「実写化が早すぎる」との声も
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ成長株へ転生できたのか
  • 4
    中国の新空母「福建」の力は如何ほどか? 空母3隻体…
  • 5
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    アメリカの雇用低迷と景気の関係が変化した可能性
  • 9
    幻の古代都市「7つの峡谷の町」...草原の遺跡から見…
  • 10
    EUがロシアの凍結資産を使わない理由――ウクライナ勝…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story