コラム

GM破産で揺れるデトロイトとモータウン

2009年06月18日(木)10時35分

 クライスラーとGMの破産で揺れるデトロイトに取材に行った。

 自動車産業については取材費を出してくれた月刊『文藝春秋』の発売前に書くわけにはいかないので、ここでは音楽について。

 デトロイトはまたの名をモーター・シティ、自動車産業のメッカとして知られるが、それだけじゃない。モータウン・サウンド、デトロイト・ロック、デトロイト・テクノ......。ここは音楽の街でもある。

 デトロイトに着いてホテルに荷物を置くと、真っ先にモータウン・レコードを見に行った。モータウンの本社が博物館として保存されているのだ。それは世界最大の企業だった旧GM本社の並びにあった。GMはアールデコ超の巨大なビルディングだが、モータウンは、ただの一軒家だった。本当に普通の二階建て3LDKの木造住宅なのだ。50年前の1959年、この家でベリー・ゴーディは銀行から借りたたった600ドルでレコードを作り始めた。最初の大ヒット曲はバレット・ストロングの「マネー」だった。

「人生でいちばん大事なものは自由だというけれど/鳥や虫だって自由じゃないか/俺が今、欲しいのは金なのさ」

 その歌詞は、奴隷から解放された黒人たちが自由の次に金を求めて、南部から工業で賑わうデトロイトやシカゴに集まった歴史を象徴しているようだ。

 自動車産業はどんどん巨大化し、アメリカの経済も成長し、黒人も若者の生活も向上し、自動車に乗り、娯楽を求め始めた。そのとき、カーラジオから恋や欲望をストレートに歌うビートの利いた音楽が流れてきたら売れないわけがない。モータウンは次から次に爆発的なヒットを飛ばし、スタジオでは24時間、いつも誰かがレコーディングしていたという。

「ここに立って、あーって言ってごらんなさい」ガイドに言われてやってみる。

「あああああああああああ」

 そう、マーヴェレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」などで有名なモータウン・サウンド独特のエコー! 低い天井を見上げると穴が開いている。そこから真っ暗で蜘蛛の巣の張った天井裏が見える。こんなチープな思いつきで録音されたレコードが海を越えてビートルズやローリングストーンズに影響を与えて、世界を変えたのだ。

 次にガイドはスタジオの床を指差す。「あなたが立っているその床をマーヴィン・ゲイが掃いていたのです、彼は最初、清掃員として雇われました。『ダンシング・イン・ザ・ストリート』を歌ったマーサ&ザ・ヴァンデラスのマーサ・リーブスは電話番でした。そこのデスクに座っていたんです」

 モータウンはアフリカ系アメリカ人が興して運営して最初に世界的な成功を収めたビジネスだったが、演奏やマネージメントその他でユダヤ系も働いていた。60年代、モータウンのミュージシャンが全米をツアーしたとき、ツアー・バスが南部で人種隔離政策を取る警察やKKKの標的になった。白人と黒人が同じ席に並んで座ってバスなんて、南部ではフリーダム・ライド以外にあり得なかったからだ。

 当時、デトロイトではモータウン以外でも人種の壁が乗り越えられつつあった。今回の取材ではGMの旗艦ビュイックの工場があるフリントのUAW(自動車労働組合)を訪問した。そこで60年代半ばの組合員の写真を見せてもらった。仕事を終えた黒人と白人の労働者たちが同じテーブルに座って仲良くビールを酌み交わして談笑している。こんな写真もモータウンの音楽も、あらゆる民族が肩を並べて働くデトロイトだったから可能だったのかもしれない。

 しかし、蜜月は1967年に警察の不当逮捕をきっかけに起こった黒人の暴動で終わりを迎える。死者43人負傷者467人、2千件の家が焼失し、白人たちはデトロイト市内から郊外へと逃げ出し、人種は再び隔離された。

「母親たちが泣いている/兄弟たちが死んでいく/解決方法を探さなくちゃ/今こそ愛をもたらすべきだ」という「ワッツ・ゴーイン・オン」(71年)でのマーヴィン・ゲイの呼びかけも空しく街の荒廃は進み、72年にはモータウンもデトロイトを去った。その翌年、73年に石油ショックが起こり、巨大で燃費の悪いアメ車は売れなくなり、現在にいたる没落が始まるのだ。

「レコーディングの合間に、そこでいつもマーヴィン・ゲイが仮眠してたんですよ」とガイドが指差したオレンジ色のソファー。40年の歳月を経てレザーはひび割れていたが、ガイドの目を盗んでそっと触れてみた。

 博物館の外に出ると、かつては自動車労働者の住宅だった近所の家々は窓がベニヤ板で塞がれ、ポーチは腐って崩れ落ち、誰かが放火して黒焦げになったまま放置された廃屋ばかり。もう暗くなり始めているのに街灯は点かない。予算不足で電気が供給されていないのか、修理されていないのだろう。今、デトロイトはアメリカでも最も危険な街なのだ。あわてて車に飛び乗った。

モータウン博物館

現在はモータウン・レコードの博物館として利用されている旧本社

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米英首脳、両国間の投資拡大を歓迎 「特別な関係」の

ワールド

トランプ氏、パレスチナ国家承認巡り「英と見解相違」

ワールド

訂正-米政権、政治暴力やヘイトスピーチ規制の大統領

ビジネス

英中銀が金利据え置き、量的引き締めペース縮小 長期
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 8
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story