コラム

官民の「貸し借り」で既得権を再分配する電波行政

2011年02月03日(木)19時09分

 ジョン・メイナード・ケインズは『雇用、利子および貨幣の一般理論』の最後で、「よくも悪くも、危険なのは既得権ではなく理念である」と書いたが、日本社会で危険なのは既得権である。特に官僚機構では、所管業界の既得権を守るために新規参入や競争を妨害することが最大の仕事だ。その構造を垣間見せたのが、今回の電波法の改正をめぐるドタバタ劇だった。

 電波の配分については、ほとんどのOECD諸国では周波数オークションが導入され、市場原理による競争で割り当てられている。民主党も2009年の総選挙の政策インデックスでオークションの実施を公約し、昨年9月の閣議決定では「オークションの考え方」を導入することが決まっていた。ところが2月8日に閣議決定される予定の電波法改正では、オークションは姿を消してしまった。

 そのからくりをさぐると、日本社会の裏側が見えてくる。まず総務省の行なった各界へのヒアリングでは、専門家が一致してオークションを実施すべきだと述べる一方で、通信業界は一致してオークションに反対した。今年7月にアナログ放送が止まったあと開放される周波数は合計で300メガヘルツを上回り、すべてオークションで割り当てると時価3兆円以上になると推定されている。いま無料で電波を割り当てられている業者が、オークションに反対するのは当然だ。

 しかし奇妙なのは、「光の道」論争ではNTTの既得権を激しく批判したソフトバンクが、周波数オークションに反対したことだ。孫正義社長は、かつてはオークション推進論者として知られ、森内閣のIT戦略会議ではオークションの実施を提言した。ところがボーダフォンを買収して電波を手に入れてからは言わなくなり、今回は反対を表明した。この背景には、今回の周波数再編で空く予定の900メガヘルツ帯がソフトバンクの「指定席」とみられている事情がある。

 それを裏づけるのは、昨年ソフトバンクが経営破綻したウィルコムを買収して子会社にしたことだ。総務省はウィルコムの救済をNTTドコモなどに打診したが、その技術に将来がないという理由で断られた。それをソフトバンクが引き受けたのは、900メガヘルツ帯を割り当てる総務省との密約があったためとみられている。総務省にとっては、いわば900メガヘルツ帯の料金をソフトバンクに「先払い」させているので、それをオークションにかけて他の会社が落札したら約束違反になる。

 皮肉なことに、このウィルコムのもっている2.5ギガヘルツ帯は、2007年の周波数割り当てでソフトバンクが応募して敗れた帯域である。そのときの「美人投票」(書類審査)では、ウィルコムの「財務的基礎が(NTTドコモより)充実している」という評価があって、業界関係者は驚いた。あとでわかったのだが、このときドコモが落とされたのは、そのあと割り当てられるVHF帯をドコモに割り当てるという密約があったためだ。

 このためドコモはVHF帯で民放と組んだのだが、このとき外資系のクアルコムがKDDIと組んで周波数オークションを要求し、1年以上に及ぶ泥仕合になった。結果的には、総務省はオークションを「時間がない」という理由で拒否し、ドコモが免許を取得したが、ドコモはVHF帯で事業をやる気はない。VHF帯は使いにくく、採算も取れないからだ。これは「外資を排除してくれ」という電波部の求めに応じて700メガヘルツ帯の免許をもらうための「先行投資」だからである。

 このように無料で電波をもらうために、通信事業者は多額の投資で役所に「貸し」をつくる。役所はその「借り」を返して天下りを受け入れてもらうために、八百長の「美人投票」で密約どおり電波を割り当てる。特に700/900メガヘルツ帯では、前述のように役所がすでに借りをつくってしまったので、オークションをやると密約を破る結果になる。

 ......と書いても、電波業界以外の人には何のことやらわからないだろう。要は、このように複雑怪奇な密室の「貸し借り」で電波行政が動いているために、オープンな競争にできないのだ。官民癒着のひどい建設業界でも、最近はここまで露骨な談合は見られない。それが残っているのは、談合の当事者であるテレビも(系列の)新聞も、この事実を報道しないからだ。

 その結果、日本はまた通信産業に競争を導入するチャンスを逃した。アジアでもほとんどの国が周波数オークションを導入しており、残っているのは中国、北朝鮮、モンゴル、ベトナムぐらいしかない。「電波社会主義」を守った日本は、こうした国のように世界から取り残されてゆくだろう。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

午後3時のドルは146円後半へ上昇、トランプ関税で

ビジネス

アングル:超長期金利再び不安定化、海外勢が参院選注

ワールド

日米韓が合同訓練、B52爆撃機参加 3カ国制服組ト

ビジネス

上海の規制当局、ステーブルコイン巡る戦略的対応検討
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 3
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 6
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 7
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 8
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 9
    ハメネイの側近がトランプ「暗殺」の脅迫?「別荘で…
  • 10
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story