コラム

日中領土外交のデッドライン

2012年09月30日(日)18時52分

 11月8日。とうとう、世界中のメディアが注目していたX-デーが明らかになった。今秋、5年ぶりに開かれる中国共産党の党大会の開幕日である。この日を巡ってここ数年来、世界各国のメディアと中国政治ウオッチャーが数々の推測と憶測を重ねてきた。

 今年の春、ちょうど直轄市である重慶市の党書記を務めていた薄熙来が腹心の裏切りによって失脚した頃、「今年の党大会はいつもの10月ではなく、11月にずれ込む」という噂が流れた。今年の党大会は中央委員会総書記の胡錦濤、そして温家宝らを含む中央の政治トップの大幅な交代が行われるため、その遅れは「人事の難航のため」と言われた。

 だが夏あたりから、北京の主要な国営ホテルで10月中旬の予約受付がストップしていたことが明らかになり、それが「全国各地から集まる代表たちがこの頃に北京に集結するというサインだ」とみられ、10月中旬開催説が濃厚になっていた。ふたを開けたら11月8日というのは、やはり人事決定に困難があるせいなのだろうか。

 まあ、その辺についてはわたしはあまり興味がない。というか、もちろん伝統的中国政治トピックであることは間違いないのだが、それを事前に知ったところでどうなるか。逆にふたを開ければわかることに、しのぎを削るほどの理由がわからないのである。ほっておいてもそれを追っかけるメディアはいるし、未来図を予想する人たちもいる。それはその辺にお任せしたい。

 だが、この11月8日という遅めのスケジュールはいったい何を意味するのか、ちょっと気になっている。というのも、今の、いつ終わるとも知れない、尖閣諸島の国有化を巡る激しい日本バッシング(すでに反日では物足りない)を、中国は新たな指導部がその最初の1ページを開く時までには収束させたい、つまり新指導部には様々な意味で新たな一歩を踏み出させるのではないか、とわたしは考えているからだ。

 もちろん、中国社会で今回の日本バッシングを機に燃え広がった憎悪に近い感情はそんなに簡単には消えてなくならない。これこそが我々民間人が最も憂慮しているものなのだが、中国の歴代政府はこれまで自国の民間人の「想い」など、ほとんど大事にしてきた前例がない。つまり、「突っ込めー!」と叫んで民間を煽り、社会を大混乱させておいて、ある時機が来たら、あるいは自分たち指導者がある程度納得できる事態になれば、指導部は民間のことなどおかまいなしにさっとその矛先をおさめてしまう、それが中国の伝統的な政権運営だからだ。

 たとえば、小泉元首相の靖国参拝、および教科書問題に煽られた民衆による04年のサッカーアジア杯の日本-中国の決勝戦後におこった暴動、そして05年に主要都市で起こった反日デモ。当初は「人民の感情を傷付けた」と「人民」を縦に激しく日本をなじっていた中国政府は、北京オリンピックが近づくにつれて日本の懐柔策に転じ、胡錦濤、温家宝の両首脳が訪日してピンポンや野球の始球式に興じて友好ムードを醸し出した。

 中国で一部の人たちはこの時のことを今でも「ここ10年来における日中蜜月」とまで形容する。だが、政府からはこの間の態度の転換については一般市民には何の説明もないままで、「あれはオリンピック盛り上げのためだよ」と言ったら初めてその理由に気がついたようだった。つまりこの国の政府は都合の良いときには民間の「自発性」や「感情」を持ち出すが、その民間のケアにはあまり頓着しない。この辺の感覚は民主主義国家と大きく違うことをまず知っておく必要がある。

 29日に東京在住の中国人、そして日本人の民間人が集まった「日中の未来を創る会」が発表した「理解と信頼を深めよう」という呼びかけや、28日の大江健三郎さんを中心とした左派系知識人、さらに29日の朝日新聞朝刊に掲載された村上春樹氏のエッセイなどがネットを使って翻訳されて転載され、少しずつ中国人の賛同者を集め始めている。

 これ自体は(大江さんたちの東京における呼びかけは日本ではほとんど報道されず、韓国メディア報道が日本に逆輸入される、という不思議な経路をとっているのだが)、日本人にとって心休まる話題ではあろう。わたしが「Newsweek 日本版」10月3日号に書いたように、今回の中国における破壊活動を「恐ろしい」とつぶやく中国人は多い。だが、今の中国社会の状況はそれを公言することを許さない雰囲気がある。

 これらの日本から発された声に賛同することができるのは、逆にそれを自分のパワーに敢えて変えることのできる知識人など「強い立場の人」だけだ。今でも、中国国内における日本企業や日本人社会が被った「被害」や「想い」を直接伝える国内メディアの報道は検閲され、ゲリラ的に発表されてもすぐに消されているから、一般の民間人は自分が正しいと思ったことを声をあげて主張することができないほど強い社会的プレッシャーを感じているのは間違いない。

 そんな中でこれらの日本の民間からの呼びかけがどれくらいの効力を持つのか。もちろん、わたしはそのような行動を無駄だとは思わないし、一人でも多くの人と想いを共有できれば、と言葉を発した人たちの気持ちはよくわかる。

 中国人にもファンが多い村上春樹、人気の高い日本車や感激されてきた日系スーパーのサービスなど思い起こせば、中国の民間における日本との結びつきは05年に比べて、ずっと深く、太くなっている。それに気づいた中国人も多かったはずだ。しかし今回の暴動はそれをまず断ち切ろうとした。村上氏がそのエッセイの冒頭で触れているように、書店から日本に関する書籍が排除される動きはその延長にあるものだし、事件におびえる人たちは今後、日本車だけではなく日本製品に手を出さなくなるだろう。だが、この瞬間にも日本人として中国の経済、発展に力を貸している友人がいる。そして彼らの協力を求めている中国の人たちがいる。これが民間の「強み」なのだ。

 だが前述したように、中国の政府には民間の想いを重視し、ケアする習慣がない。民間というのは結局為政者たちが都合良く使うことのできる「コマ」と思っている節がある。つまり、民間から起こった呼びかけがこのような「指導部のメンツ」に関わる事件においてそれほどの力を発揮できるとは思えないし、また中国国内でもこのような呼びかけをし、また応えるのは知識人、社会的エリートだけという現実はもっと直視するべきだ。それは簡単に言ってしまうと今の事態を客観的、さらに、マクロな視点で理解できる人たち、である。

 この国の一般義務教育では基本的にマクロな視点や客観的視野に重きを置いた教育は行われず、学歴あるいは経験の浅い人にこのようなマクロな視点が共有されるのは難しい。つまり社会的精鋭(ネットでは最近、このような人々、公共知識分子を「公知」と呼び、「口ばかり高尚だが、実質的な行動を起こさず、社会的影響力も持たない人々」という意味で蔑む傾向がある)の呼びかけがマクロな社会意識ではなく、目の前の現実だけをみている人たちに受け入れられる割合は非常に低い。国民の大多数がまだシンプルな生活レベルで暮らしていることを考えると、そのような呼びかけに呼応が始まったという話題に安心していても仕方がないのである。

 そしてそのような人たちが政治目的に利用され、煽られ、コマとして使われた。この嵐のような騒ぎはやはり根本となる政治面での解決を見ないことには解決はありえない。

 このような中で、政治的および外交的体質虚弱国の日本がいかにこの課題を解決していくか。いまのところ、国連で野田さんが「領土問題は存在しない」という言葉をはっきり使ったのは正しかった。自身の最高レベルの主張をまずきちんと述べる。そこから水面下の折衝が始まるのが中国の折衝方法であり、過去のアメリカなどとの折衝をみてもよくわかる。最初は表向きは噛み合わない2つの国が、折衝という、必ずしも公開されないトンネルに入って抜け出してみると、それなりに落ち着く。それが中国との折衝の可能性なのだ。だから日本はその主張をきちんと掲げつつ同時に中国との水面下での接触は続けるべきで、その中で先日急逝した西宮駐中国大使の後任として名前が上がっていた宮本元大使が訪中したというニュースは注目に値する。宮本元大使が中国においてどのような人たちと接触し、またどのような情報を持ち帰るのか。11月8日が中国にとってのデッドラインであること、これを日本政府がいかに利用していくか、そこに外交の鍵がある。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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