コラム

知床海難事故で注目の「飽和潜水」とは? 救助・捜索に不可欠な潜水法の仕組みと歴史

2022年05月24日(火)12時30分
潜水士

深海の作業では、高圧と低い水温に耐えなければならない(写真はイメージです) digidreamgrafix-iStock

<海底に沈んだ観光船「KAZU I(カズワン)」の船内捜索で注目を集める「飽和潜水」──なぜ水深100メートル以深でも安全に潜水できるのか? 最大700メートルまで潜水可能で、さらに安全と考えられる「次世代型大気圧潜水服」とは?>

北海道・知床半島沖で26名が乗った観光船「KAZU I(カズワン)」が4月23日に沈没した事故は、1カ月経過した5月23日現在、知床岬先端などで14名が見つかり、全員の死亡が確認されています。

19日午後からは、水深約120メートルの海底に沈んだカズワンの船内に潜水士が入る「飽和潜水」による捜索も実施されました。潜水の仕組みや歴史を概観しましょう。

スクーバダイビングの潜水限界は水深約50~60メートル

潜水の歴史は、人類の登場以来と言っても過言ではないでしょう。古代メソポタミアの遺跡から真珠貝の象嵌(ぞうがん)細工が見つかっていることから、紀元前4500年には息をこらえて潜る「素潜り漁」が行われていたと考えられています。

空気の補給を伴う潜水の古い記録は、アッシリアの兵士が羊の皮袋に入った空気を吸いながら水中で敵を攻めている絵画で、紀元前820年頃のものと考えられています。水上から空気を送って潜るヘルメット式潜水器は、1820年にイギリスのゴーマン・シーベが発明しました。空気タンクを身につけるスクーバダイビングは、1943年に圧縮されたタンク内の空気を潜水者が呼吸できるレベルに減圧させる器材「レギュレーター」が開発されて生まれました。

日本では、「魏志倭人伝」(285年)に海女によるサンゴや魚介類の素潜り漁が描写されています。その後、江戸時代末期まで素潜りの時代が続き、明治5年(1872年)に海軍工作局でヘルメット式潜水器の製造が開始しました。スクーバダイビングは、第二次世界大戦後の1945年頃に日本を含めた世界中に広まります。

スクーバダイビングの潜水限界は、訓練を積んでも水深約50~60メートルです。水深約30メートルで「窒素酔い(窒素中毒)」、約57メートルで「酸素中毒」、さらに潜水深度が深ければ深いほど浮上時に「減圧症」のリスクが高まることなどが理由です。

窒素酔いは3~4気圧以上の窒素を摂取した時に起こります。水深約30メートルで、空気ボンベの窒素分圧は約4気圧になります。アルコール中毒や麻薬摂取に似た「多幸感」が特徴で、精神が高揚して楽観的あるいは自信過剰になり、行動に慎重さが失われる危険があります。症状がよほど重くならない限りは直ちに命に危険を及ぼすものではありませんが、判断力の低下などが潜水事故につながります。

酸素中毒は、一般的には酸素分圧が1.4気圧を超えると生じると言われ、これは水深約57メートルで空気を吸い込んだ時と同等の圧です。症状は、めまい、痙攣、嘔吐、視野狭窄などと深刻です。潜水中の酸素中毒では、約10%の患者が全身痙攣または失神を起こして溺れてしまうと言われています。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米石油・ガス掘削リグ稼働数、22年1月以来の低水準

ワールド

アングル:コロナの次は熱波、比で再びオンライン授業

ワールド

アングル:五輪前に取り締まり強化、人であふれかえる

ビジネス

訂正-米金利先物、9月利下げ確率約78%に上昇 雇
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 7

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 8

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 9

    元ファーストレディの「知っている人」発言...メーガ…

  • 10

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story