瓦礫の跡に残る見えない苦悩
休止していた事業を再開できた企業も、不安を抱えている。塩釜港から程近い場所で雑貨店を営む松田竜男は、津波で店が浸水して商品が駄目になった。一時は店を畳むことも考えたが、日本政策金融公庫から資金を借りて事業を再開した。
それでも地元住民に買い物をする余力が残されているのか、という不安は消えない。インターネット販売などで利益が出るようにはなったが、「雇用が生まれて地域経済全体が回るようになるのか。正直なところ見通しは厳しい」と、松田は言う。
借金に躊躇してしまう理由はほかにもある。二重ローン問題だ。震災以前の債務を抱えている企業は、再投資すれば再びローンを組む必要に迫られる。震災前の企業の債務負担をどう軽減するか、国の方針はいまだに固まっておらず、対象となる企業の線引きもはっきりしない。これでは企業は事業計画が立てられない。
貸す側の金融機関にも、融資したくてもできない事情がある。「地元の金融機関としては当然、復興を支援していきたい気持ちは強い」と、被災地に拠点を置くある地方銀行の行員は言う。「ただ民間の金融機関としては、二重ローン対策を含めた国の支援体制が明確ではない現状で、単独でリスクを負って貸し出しをするには限界がある」
銀行に貸出資金がないわけではない。震災後、日銀は0・1%の低金利で金融機関に資金融資する緊急制度をつくった。
しかし、こうした資金をどう活用するかが決まっていない。被災者個人が受け取った支援金も保険金も、将来的な不安から消費に回っていない。カネは銀行に預けられたまま、金庫室で眠っている。「地方自治体が先導して、具体的な復興のビジョンを示す必要がある」と、この行員は言う。
ヤミ金が救った被災者
銀行から融資を受けられないとなれば、資金を必要とする被災者たちは消費者金融などのノンバンクに向かわざるを得ない。だがカネを借りにくいのはノンバンクも同じだ。その背景には、昨年6月に施行された貸金業法の改正がある。
改正法では、クレジットやローン会社からの借り入れを含め、年収の3分の1以下しか借り入れができなくなった。被災地でなくとも、中小零細企業の経営者が無借金で事業を回すのは極めて困難だ。多くの経営者が改正された貸金業法のせいで資金繰りの苦しみにあえいでいる。被災地の状況がさらに厳しいのは言うまでもない。
また貸付額に応じて金利上限が15〜20%に定められたことで、消費者金融業者に対する過払い請求が殺到し、業者の体力をそいでいる。結果として、廃業せざるを得ない業者が増え、大手も貸し渋りに走っている。金融問題が専門の東京情報大学の堂下浩教授は、「震災前から消費者金融の審査は厳しくなっている。資金需要が高い被災地で、明らかに改正法が復興の足を引っ張っている」と指摘している。
こうした背景から、逆に被災地で勢力を広げつつある人々がいる。高金利だが現金をすぐ用立ててくれるヤミ金融だ。
現実に違法のヤミ金融を頼って生活再建に乗り出した人もいる。仙台市の男性(48)は、震災前に工場長を務めていた笹かまぼこ会社が津波で流された。上司や同僚も死亡した。男性自身も車や銀行の通帳、カードを波にさらわれた。
それでも途方に暮れているわけにはいかない。妻と小学生の子供を抱える彼は、すぐに収入を確保する必要があった。魚肉をすり身にする機械さえあれば、何とか個人販売で仕事を再開できる。