コラム

シリア内戦と日本の戦争体験はつながっている

2017年03月16日(木)11時53分

2011年~12年の日本人の「空白期間」を埋める映画

映画の後半で、シマヴがホムスから送ってくる映像は2012年7月までである。つまり、この映画は、11年3月の内戦の始まりから内戦が激化した12年夏までの映像で構成されている。

思わず目をそむけたくなるような画像、映像が続く。このドキュメンタリー映画を日本人が見る意味は何だろうと考えながら、6年前の3月11日のことを思い出した。

2011年3月11日、私はカイロ中心部のタハリール広場に近いホテルにいた。タハリール広場で続くデモや集会に毎日取材に行っていた。エジプトで30年間、権力の座にあったムバラク大統領が、若者たちのデモの圧力に押されて辞任したのは、1カ月前の2月11日だった。その後、アラブ世界で熱に浮かされたように「若者たちの反乱」が広がった。リビアやシリアは政権によるデモ隊の武力制圧によって内戦へと進む瀬戸際にあった。

そのような時に東日本大震災が起こったのである。私はホテルのテレビで、海が町を呑み込む信じられないような映像を見た。

日本にとっては、「アラブの春」は3月11日で終わったといってもよかった。日本の報道は、大地震、大津波に原発事故を伴う大災害の報道一色になった。私は当時中東にいてアラブ世界の歴史的な政変を日々、取材していたが、日本からの反応は非常に弱く、日本人にとって遠い中東のことなど関心の外という印象だった。

それは2012年3月の震災1年を超えて、その年の夏まで続いた。中東が大変なことになっていることに日本人が再び目を向けるのは、12年8月下旬に女性ジャーナリストの山本美香さんがシリア北部のアレッポでシリア政権軍の銃撃で殺害されたニュースではないか、と記憶している。

東日本大震災によって日本人の関心が「アラブの春」に向かなかったのはやむを得ないことであるが、その間、多くの日本人にとって「アラブの春」やシリア内戦の始まりが、ほとんど欠落していることは心にとめておかねばならない。その空白の期間の映像を集めて作られたドキュメンタリーが、この『シリア・モナムール』である。

悲惨さの根底にあるのは、ISよりアサド政権の暴力

『シリア・モナムール』が描く悲劇の元は、政権軍の暴力と残酷さである。シリア内戦と言えば、誰もが「イスラム国(IS)」の残酷さを思い浮かべるだろうが、ISの樹立宣言はこの映画が製作された後の2014年6月である。13年春にシリア内戦に参入したISの前身の「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」も映画には出てこない。

ISの残酷さは否定できないものであるが、この映画によって、シリア内戦の悲惨さの根底にあるのはアサド政権の暴力であるということを確認することができる。

それは過去の話ではない。反体制地域で活動し、民間人の死者を集計しているシリア人権ネットワーク(SNHR)の発表によると、2016年の民間人の死者は1万6913人。そのうちアサド政権軍による死者は8736人(52%)で、同政権を支援しているロシア軍による死者は3967人(23%)と、両軍合計で全体の4分の3を占める。

ISは「イスラムに反する」として市民の残酷な処刑をしているが、ISによる民間人の死者は1510人で全体の9%である。政権軍とロシア軍による民間人死者がこれほど多くなるのは、両軍による民間住宅地域への無差別空爆によるものと考えるしかない。

【参考記事】戦火のアレッポから届く現代版「アンネの日記」

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、9月米利下げ観測強まる

ビジネス

米GDP、第2四半期改定値3.3%増に上方修正 個

ワールド

EU、米工業製品への関税撤廃を提案 自動車関税引き

ワールド

トランプ氏「不満」、ロ軍によるキーウ攻撃=報道官
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ」とは何か? 対策のカギは「航空機のトイレ」に
  • 2
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 5
    「ガソリンスタンドに行列」...ウクライナの反撃が「…
  • 6
    米ロ首脳会談の後、プーチンが「尻尾を振る相手」...…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「風力発電」能力が高い国はどこ…
  • 9
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 5
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 6
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 7
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 8
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 9
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 10
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 10
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story