コラム

イランを見据えるモサドが国交正常化を画策した【イスラエル・UAE和平を読む(前編)】

2020年09月22日(火)07時35分

情報収集や対外秘密工作、時には暗殺作戦まで行うイスラエルの対外情報機関モサドのヨシ・コーヘン長官 Amir Cohen-REUTERS

<歴史的な国交正常化交渉を担ったのは、実はイスラエルの対外情報機関モサドだった。湾岸アラブ諸国との和平樹立は敵国イランを睨んだ戦略だが、UAEにとっては別の思惑もあった>

イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)の平和条約が9月15日、ワシントンで調印された。直前になってバーレーンも参加した。

この数年、サウジアラビアやオマーンを含めて非公式に進んでいたイスラエルと湾岸アラブ諸国の関係強化が表に出てきた。

各国の報道では対イランでの連携の側面が強調される。その背景には、イラク戦争、シリア内戦を経て、イランがイラク、シリアへの影響力を強め、元々イランの支援を受けてきたレバノンのシーア派組織ヒズボラを含めて、イスラエルの間近に迫ってきているという危機感がある。

今回の平和条約は、中東和平での歴史的な合意としては1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が調印したパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)と、その翌年のイスラエル・ヨルダンの平和条約に続くものだ。

オスロ合意はPLOと秘密協議を進めたイスラエル外務省が主導したが、今回のUAE、バーレーンとの和平をイスラエル側で担ったのは、外務省ではなく、対外情報機関のモサドである。

8月13日に発表されたUAEとの国交正常化合意の後、イスラエル首相府が出した声明によると、ネタニヤフ首相がモサドのヨシ・コーヘン長官に電話し、「モサドが数年にわたって湾岸諸国との関係を発展させ、それが平和合意へと結実したことに感謝を表明した」という。

イスラエルの外相、国防相は国交正常化交渉を知らなかった

8月末にイスラエル政府の使節団がエルアル機でUAEのアブダビを訪れたが、8月17日のイスラエル有力紙ハアレツ紙には「イスラエルの省庁間の争いでUAE使節団の出発が遅れる」という記事が出ていた。

UAEとの合意後、ネタニヤフ首相が開いた外相、国防相を含む安全保障関係閣僚会議で、首相が率いるリクード党と連立を組んでいる「青と白」連合から、国交正常化合意を事前に知らせていなかったことに対する怒りが噴出したという。

アシュケナジー外相、ガンツ国防相は共に「青と白」連合であり、特に、国交正常化の重要な柱として大使館設置を含め外交関係の構築を行う外務省から、蚊帳の外に置かれたことに強い反発が出たものとみられる。

イスラエル外務省も1990年代半ばから、湾岸諸国に担当の外交官を置いて非公式の接触を続けてきた。しかし、ネタニヤフ首相は今回のUAE和平を外務省抜きで進め、モサドのコーヘン長官を国交正常化合意の秘密交渉にあたらせたという。

2018年にネタニヤフ首相はUAEを極秘訪問していた

モサドは首相府直属で、イスラエルの安全保障のための情報収集や対外秘密工作、時には暗殺作戦まで行い、その活動が表に出ることはほとんどない影の組織である。

ところが、ネタニヤフ政権になってから、コーヘン長官が外交の表舞台に出てくる機会が増えた。2018年10月にネタニヤフ首相が初めてオマーンを訪問して当時のカブース国王と会談したときも、コーヘン長官が同行した。

【関連記事】トランプ政権がパレスチナ難民支援を停止した時、40カ国が立ち上がった

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、大型減税法案可決をアピール アイオワ州

ワールド

IMF、スリランカ向け金融支援の4回目審査を承認

ビジネス

ドイツ銀、グローバル投資銀行部門で助言担当幹部の役

ビジネス

ドイツ自動車対米輸出、4・5両月とも減少 トランプ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 7
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 8
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 5
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 6
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story