コラム

泣ける歌 イスラエルで復権した「クウェート人兄弟」

2018年03月30日(金)12時20分

DuduTassaOfficial-YouTube

<日本では無名だが、アラブ世界を代表する音楽家だった「クウェーティー兄弟」。中東政治に翻弄されたクウェート生まれのユダヤ人がイスラエルで名誉を回復するまで>

2018年はサーリフ・エズラの生誕110周年にあたる。といっても、彼のことを知る人などほとんどおるまい。彼は、弟のダーウードとともに「クウェーティー兄弟」として知られた音楽家である。

クウェーティーとはクウェート人という意味だ。名前からわかるとおり、兄サーリフは1908年に、そして弟ダーウードはその2年後、ともにクウェート市シャルグ地区に生まれた。兄弟が特異な存在なのは、単に著名な音楽家というだけではない。アラブの国クウェート生まれではあったが、実は彼らはユダヤ人だったのである。

兄弟はクウェート生まれであったが、父エズラは19世紀末にバスラからクウェートに移住したイラク人であった(もっとも、当時はイラクという国はなく、オスマン帝国の一部であった。また、父親はイラン生まれで、バグダードに移住したという説もある)。

そのころクウェートのユダヤ人コミュニティーは、最大の見積もりでも200家族程度しかなく、その多くは、イラク、あるいはイランから移住してきたものであった。イラクからの移住者は、オスマン帝国治下で非ムスリムに課された人頭税を免れるため、人頭税のなかったクウェートにやってきたともいわれている。

彼らは現在のクウェート市中心部の近くヤフード街(ユダヤ人街)と呼ばれていた地区に集中して住み、貿易業や繊維業、両替商などに従事したり、衣料品店を経営したりしていた。そして何よりおいしいワイン造りでも知られていた。クウェートでは、ユダヤ人は比較的裕福で、宗教的な自由も保証されていた。当時クウェートにはシナゴーグやユダヤ教徒向けの墓地も存在していたのである。

しかし、このユダヤ人コミュニティーは1950年代初頭には完全に消滅してしまう。1948年にイスラエルが建国を宣言し、第1次中東戦争が起きると、アラブ諸国で反ユダヤ感情が高まり、ユダヤ人の多くは生まれ故郷のアラブ諸国を離れなければならなくなったのである。イラクのユダヤ人の多くもこのときイラクを離れている。

湾岸(GCC)諸国のなかで現在でもユダヤ人コミュニティーが存在するのはバハレーン(バーレーン)ぐらいであろう。バハレーンは議員にもユダヤ人がおり、前の駐米大使、その前の駐米大使もユダヤ人(しかも女性)であった。

才能を開花させ、クウェートからイラクへ

さて、話をクウェーティー兄弟に戻そう。兄サーリフが10歳、弟ダーウードが8歳のとき、商売でインドに行っていた叔父が土産として2人にバイオリンとウード(中東の伝統的弦楽器。ヨーロッパにいき、リュートとなった)を与えた。

これがクウェーティー兄弟の音楽活動のはじまりである。サーリフは、クウェート音楽史上、もっとも有名な音楽家の1人で、ウードの名人として知られていたハーリド・バクルに師事し、クウェート音楽やアラブ音楽を学んでいく。

ほとんど知られていないが、クウェートは当時からアラブの伝統的音楽の拠点の1つで、1910年代から地元音楽家のレコードが発売されており、石油発見以前にはクウェート人の2割から3割がプロのミュージシャンだったといわれるほどであった。

当時のクウェートの主要産業は天然真珠採取で、毎年数百隻の船が真珠を採るためにペルシア湾に出ていたが、そうした船にはたいてい真珠を採る潜水夫たちを励ますために歌手が同乗していたのである。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

トムソン・ロイター、第1四半期は予想上回る増収 A

ワールド

韓国、在外公館のテロ警戒レベル引き上げ 北朝鮮が攻

ビジネス

香港GDP、第1四半期は+2.7% 金融引き締め長

ビジネス

豪2位の年金基金、発電用石炭投資を縮小へ ネットゼ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉起動

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    ポーランド政府の呼び出しをロシア大使が無視、ミサ…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    米中逆転は遠のいた?──2021年にアメリカの76%に達し…

  • 8

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 9

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 9

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story