コラム

それでも日本は走り続ける

2012年10月10日(水)19時21分

 中国は9月30日の中秋節から国慶節(10月1日)の8連休に突入、それが明けると休み前の反日デモが醸造した重苦しいムードから開放された。そして、日本でも連休明けのメディアで話題のノーベル賞が、国際情勢に敏感な中国人ネットユーザーたちの間で注目を集めている。

 こんな「フェーズの転換」は11月8日を「X-day」とみなしているだろう中国当局にとってありがたいはずだ。いや、これも計算済みだったのかもしれない。だが実際はノーベル賞を見つめるレベルの人たちは片時も先日の騒ぎを忘れておらず、ノーベル賞が証明する「日本と中国の差」をはっきり意識しているのだが。

 それは一部の日本人が想像するような単純な「酸っぱい葡萄」ではない。逆に彼らは数年前の民主活動家、劉暁波の平和賞受賞に歓声を上げた人たちで、「酸っぱい」どころか、先月の信じられないような暴動を苦々しく思っている。あわせてGDP世界2位のこの国に何が足りないのかを真剣に問いかける人たちだ。そこに日本人が単純にノーベル賞の受賞回数をひけらかしたところで意味はない。それじゃ、人海戦術にモノを言わせて威嚇した中国当局の態度と五十歩百歩だと敢えて釘をさしておく。

 今回の「国有化」事件(まだ終わっていない)を振り返ってみて改めて感じることがある。それは、中国の民間における日本からの情報が余りにも薄いことである。最近やっと日本の情報流通のハブとも言える新聞社や通信社(朝日や日経、共同通信)が中国語による情報発信を始めたが、それでもすべてをうまく伝えられているとはいえない。特に今回痛切に感じたのは、これまで日本がずっとアテにしてきた、中国の「知性」やニュース機関における日本の情報吸収力がいつの間にかやせ細っていたことだ。

 わたしは日頃、特に日本情報が中国でどれほどもてはやされているかにはそれほど関心を払っておらず、逆に中国で話題になっているニュースを眺めてそこでの社会的な争点として視野に入ってくる日本の事象に注目する。そこで最初に驚いたのが、8月に野田首相が韓国に続いて中国の胡錦濤国家主席に宛てて親書を託した、というニュースの中国での報道だった。

 そのきっかけはあるメディア関係者からの、「野田首相は書道がお得意なの?」という質問だった。聞き返したところ、日本語の「親書」が「自筆の手紙」を意味する「親筆信」と訳されていた。どこかの新聞社の大ボケな特派員一人のミスではない。国家通信社である新華社が「親筆信」を使って伝えており、それが多くのメディアに転電され、ネット上でも「(領土問題の真っ最中に送りつけるほど)野田の書道の腕前はすごいのか?」と話題になっていた。

 どう考えても「親筆信」が大間違いであることはすぐに分かるはずなのだが、ニュースの達人がこんなくだらないミスを犯し、それにどこからも異議が出てこずに中国全体にさらりと流れてしまっている事実に驚いた。

 念のため付け加えるが、これを「中国ならではの検閲」と結びつけるのは間違いだ。こんな、くだらない、無意味な、そしてその結果何が生まれるわけでもない「検閲」をするほど、中国当局はヒマではない。それにそれがもし「検閲」するほど重要な出来事ならば、逆にネットなどで反対の声が出てくる。今回は親書自体の軽さもあってか、それすらも起こっていなかった。

 この時は問い合わせてきたメディアに、そしてツイッターなどを使って「親筆信」は間違いであることを伝え、それを目にした人たちやメディアはその後「公的署名の入った私信」という言葉に置き換えた。だが、今でも検索すれば8月に野田首相が胡錦濤主席に「自筆の手紙を送った」というニュースが普通に現れる。なんという体たらくだ。

 しかし、今回の連休中に有名大学教授などいわゆる中国知識人が起草し、ネット上で発表した声明「中日関係を理性に戻せ----我々の呼びかけ」(以下「呼びかけ」)という文面を見てさらに驚いた。この呼びかけは、先月28日に大江健三郎氏ら知識人、文化人を含む日本市民が発表した「『領土問題』の悪循環を止めよう」という声明に触発されて、主に中国で暮らす知識人がネットで台湾、香港などの華語圏の人々に署名を募る声明だった。

 この「このところ、釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)が引き起こした中日間の争議、とくに中国社会において引き起こされた激しい動きを憂慮している」から始まる「理性」を呼びかける声明には、最初わたしが目にした時にこのような文言が含まれていた。

「2012年9月27日、日本の児玉和夫国連代表が国連大会で『馬関条約』を釣魚島領有権帰属の根拠と発言したことに対し、我々はそれを事実を無視した、無責任な表現だと感じており、このような不平等条約の幽霊をよみがえらせるような起点を受け入れることはできない。日本には領土拡張と軍国主義思想が常に存在し、極右の言論が度々出現、中国侵略の歴史に対する認知も常に反覆していることが、友好的近隣関係の発展に不利であることは否定出来ない」

 ここには大きな間違いがある。児玉国連次席大使の国連で、「日本の尖閣諸島領有は、中国が主張する日清戦争以前からである」と、その領有が「(日清戦争後に結ばれた)馬関条約以前のもの」と挙げた。それがこの「呼びかけ」では「馬関条約をタテに領有権を主張した」ことにされている。国連総会という公開の場で公開で行われた発言がここまで間違った情報になっていることに呆然とした。起草した中国人知識人たち、そしてそれを読んで署名した華語圏の知識人たちのニュース収集力はどうなっているのか。これでは「理性の呼びかけ」もなにもあったものではない。

 しかし、さすがにこの文言に疑問を呈する中国人ネットユーザーの声をツイッターで目にした。それをきっかけに、わたしも共通の知り合いを通じて起草関係者にその点を指摘した。すると児玉氏関連の部分は削除されたが、「日本には領土拡張と軍国主義思想が常に存在」以下が「文意は通じる」と残された。

 だが、それが「領土拡張が軍国主義思想を思わせる」という意味ならまだわかるが、その「拡張」も「軍国主義」も今回の「国有化」とは全く関係ない。いや関係ないどころか、日本が今回「国有化」に至った背景には、「軍国主義の拡張」どころか、「領土問題をことさらに騒ぎ立てる傾向にある石原都知事の購入案を防ぐため、さらなる大きな国家権力による買い上げという形による消極策であったこと」が全然理解されていないようだ。そこでその背景をまとめ、「中国政府はその経過を知りながら黙っていた。間違いなく中国政府はその前後関係を理解した上での行動だった」というわたしの分析を起草者に向けて再度したためた。

 たぶん、同様の意見があったのだろう。結果、文言から「軍国主義」「極右」「領土拡張」などが消え、戦後の日本社会と市民の平和への努力を評価する旨が付け加えられた。それでも、書き換えられた文章は「日本が十分な戦争責任を果たしていない」ことに「市民の不満が存在する。それを新たな火種で再び呼び起こすことがあってはならない」と訓戒する。そして最新版には中国国内で起こった焼き討ちや、当局手動とみられる日本関連書籍の不買などについても「遺憾の意」が書き込まれた。

 最終的にこうした形で落ち着いた「呼びかけ」だが、最初の「古臭い文言」と「事実に対する認識の欠落」はショックだった。というのも、起草者は大学教授などの知識人、文化人で、彼らの多くがかつての「御用」学者だった知識人ではなく、日頃から社会運動にも関わり、かなり自由な立場で情報収集が可能なはずの人達だったからである。

 実際、日本は国交回復後の活動でもこれら中国人知識人たちにかなりの重心をおいて交流を進めてきた。政府に近い御用学者ならともかく、中国社会にもリベラルな人物と認められ、知名度の高い彼らをしても、今回の「国有化」に至る日本国内の流れが全く知られておらず、逆にそれを「軍国主義」「領土拡張」という古臭く、また短絡的な視点で見ているとは。先の「親書」の翻訳ミスに加え、今の中国では知識層でも日本の日常をきちんと整理し分析できる層がすっかりやせ細っているという現実をつきつけられた。

 だが、希望がないわけではない。もしかしたら、我々が問いかけ、語りかけるべき対象が時代の変遷とともに大きく変わっているのではないか、という発見もあった。

 それに気付いたのは、トヨタが今月8日から始めた、先月のデモで破壊された車に対する無償修理サービスに寄せられた人々の声を読んでいた時だ。トヨタは連休明けから今月末までに、同車ブランド車に対し、保険の顧客負担修理費用をトヨタが負担して修理する「顧客ゼロ負担」を実施することを明らかにした。今、これを伝えるニュースが大きな反響を呼んでいる。

「日本企業は、愛国者よりも中国の庶民を愛してる?」

「これこそが責任なる態度。だからぼくはやっぱり日本車を買う」

「915(デモが起こった9月15日)事件はぼくらを地獄に叩き込んだが、トヨタの賠償は日本を天国に送り込んだ」

「これはすばらしいリスク管理だ。新しい顧客の発掘とブランド宣伝ができない環境にあって、まず自分の老顧客を自分たちのブランドにしっかりと繋ぎ止めて忠実なユーザーにする。消費者の信頼がさらに高まれば、それは自然に宣伝的な効果を持つ。社会的責任感と包容力を持つ企業を目にすることができた。我々はそれに学ばなければ」

「日本人は嫌い。でも確かに日本人のこういうところは見習わなければ」

「あれ、公民の生命財産安全を守るって言った国はどこ行ったの? 中国人がぶち壊し、焼いたものを日本人が賠償する。まったくさ...」

「日本はムカつくけど、志の低い同胞たちにはもっとムカつく」

「日本人がどんな気持ちでやるのかしらないけど、でも恥ずかしいよな」

「名前が中だろうが日だろうが、これこそが大企業の心意気とやり方だよ」

......「消費者」たちは知ってる。良いサービスと品質は自分の利益を守ってくれることを。先月のデモの破壊活動に一番震え上がっていたのは、それを見ながら「文革か?」と叫んだ「消費者」だった。ここ10年間に急速に生まれたそんな消費者たちは、自分たちの「所有する権利」に大きな価値観を感じている。

 反日デモで多くの日本製品が破壊されたが、それはすべて「他者のもの」だったからだ。北京や上海など大都市を中心に増えている「消費者」たちはそれを冷たい目で見つめていた。個人の権利よりも党やイデオロギーが優先される「文革」という形容が出てきたのも、そのせいだ。自分が所有するものの価値や利益をしっかりと意識した、中国ではまだ新しい層であるこの消費者たちはしかし、自分の価値や利益を守る活動に大きく共鳴する。

 日本は消費生活ではずっと中国より先行し、日本の商業サービスは世界的にも賞賛を浴びている。中国ではまだ国に支配された経済体が「サービス」を口にしながら商売する。トヨタの「顧客ゼロ負担」にもそういった視点から「何を狙っているんだ?」という陰口も流れているが、「トヨタのこのニュースに恥ずかしさを感じ、批判に冷眼を浴びせる」という声が多くの人たち支持されている。

 だがここで間違えないでほしい。中国の「経済」と「消費者」は別物だ。今東京で開かれているIMFにも中国の四大銀行は日本への抗議を理由に不参加を表明した。中国の経済体制はまだまだかなりの範囲が国によって支配されている。

 しかし、消費者は自由だ。自身の所有権に目覚めた時に日本のサービスや製品に触れた人たちは、デモ騒ぎたけなわの時にも敢えて和食を食べ、日本製品への支持を口にした。過激なムードが去った今、これから我々が「軍国主義」でも「極右」でもない日本の価値観を伝えていく相手は、日本のサービスに価値を感じ、満足を感じているこれら中国の、まだまだ若い消費者の層なのではないか。

 経済ニュースサイト財新が紹介していたニューヨーク・タイムズ紙記事の分析によると、中国の国内総生産に占める個人消費は10年前の45%から35%にまで落ちたという。不景気にあるアメリカでもその数字は70%で、今後中国は自国民の消費能力を高めなければ、今後の成長はありえないとされ、また中国政府も今後5年間に個人消費の率を高めていくことを明言しているという。

 消費とは「カネを使うこと」だけではない。これまで所有の観念が薄かったこの国で、人々はこれから自分の手にしたものを愛でる時代に入っていく。その時に理不尽なふるまいをうけた車がトヨタの力でまた走りだせば、人々は「壊すこと」より「大事にすること」の方が何十倍も重要なのだと身を持って知るはずだ。

 ニュースになったのはトヨタだが、実際には他の日本車ディーラーも同様のサービスを始めたという。日本の企業がここで踏ん張れば、また道もひらけていくはずだ。中国の消費者に続く道はまだ長い。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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