コラム

モンゴルの牧畜の死骸はプラスチックまみれ......朝青龍が挑む「羊たちの沈黙」

2019年02月09日(土)15時40分

春先にごみをあさる家畜の群れ(モンゴル) MADOKA IKEGAMIーBARCROFT IMAGESーBARCROFT MEDIA/GETTY IMAGES

<放置されてきたユーラシア遊牧民の嘆きと、欧米をプラごみ対策に動かしたクジラ愛護の悲しい落差>

「死んだ羊の胃袋の中には、草よりもプラスチックが多かった」「腸もプラスチックで詰まって、死んでいった牛は何頭もいた」

こうした嘆きを私は90年代から、中国内モンゴル自治区の草原で聞かされていた。当時は高度成長期の中国が生産する大量のプラスチック製品がモンゴル人の牧畜地帯に持ち込まれ、問題となっていた。カラフルなプラスチック製品は白く変色し、何年たっても緑の草原に散らかったまま消えなかった。

草が生えそろわない春先に、羊や牛は草原のプラスチックを食べ、消化されずに体内に蓄積されてしまう。それらは何日たっても排泄できずに、次第に弱って死んでいく。運よく体外に排泄できたとしても、既に家畜の体にプラスチック成分が吸収されていたはずだ。

「人間は乳製品と肉を通して、家畜が食べたプラスチックを摂取している。規制しないと、いつか毒となって人類全体を侵食する可能性がある」と、遊牧民は警鐘を鳴らしていた。しかし、草原の民の声に耳を傾ける識者は中国にもモンゴルにも、世界にもいなかった。遊牧民のちっぽけな家畜よりも経済成長が優先されたからだ。

プラスチックが家畜を媒体に人間の体を侵食しているだけでなく、環境破壊にもつながっている。草原に捨てられた空のペットボトルが太陽光を浴びて反射し、枯れ草に引火する草原火事がほぼ毎年のようにモンゴルで発生している。

「飲んだら持ち帰ろう」というキャンペーンを数年前から先頭に立って進めている人物がいる。日本の大相撲で活躍していた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジだ。日本の合理的なゴミ処理法を熟知しており、母国に導入しようとしているが、モンゴル国民の反応は冷淡だ。「飲んだら、草原へポイ」という習慣はなかなか直らない。

海洋汚染対策には熱心

自然生まれの木製品や毛皮類を歴史的に利用してきた遊牧民は、「物はやがて全て自然に返る」という見方を持つ。だからプラスチック製品の処分に無頓着なまま、今日に至った。カザフスタンやウズベキスタンも同じだ。

ユーラシアの草原地帯では以前からプラスチック製品による環境汚染と、人類への脅威が懸念されていた。だが国際社会に注目されることはなかった理由は、「羊は鯨に及ばないから」という見方がある。

近頃、欧米の環境保護団体がプラスチックごみ問題に熱心になっているのは、昨年春頃から死んだ鯨の体内でプラスチックごみが続けて見つかったからだろう。鯨は世界規模で回遊する。スペインやインドネシアの海岸に打ち上げられた鯨のほとんどが胃袋にプラスチックごみをため込んでいた。

プロフィール

楊海英

(Yang Hai-ying)静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治州)出身。編著に『フロンティアと国際社会の中国文化大革命』など <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国、ガリウムやゲルマニウムの対米輸出禁止措置を停

ワールド

米主要空港で数千便が遅延、欠航増加 政府閉鎖の影響

ビジネス

中国10月PPI下落縮小、CPI上昇に転換 デフレ

ワールド

南アG20サミット、「米政府関係者出席せず」 トラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216cmの男性」、前の席の女性が取った「まさかの行動」に称賛の声
  • 3
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 4
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 7
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 8
    レイ・ダリオが語る「米国経済の危険な構造」:生産…
  • 9
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 10
    「非人間的な人形」...数十回の整形手術を公表し、「…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 7
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 8
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 9
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 10
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story