World Voice

アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

世界三大劇場のひとつ・アルゼンチンのコロン劇場、コロナ禍で約1年ぶりの公演

コロン劇場の歴史は1857年に始まり、今の場所に設立されたのが1908年のことです。
伝統あるオペラハウスでタンゴ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はコロン劇場とタンゴの歴史は劇場創立当時のものからなのです。

カーニバルのフィナーレはコロン劇場にて。
夜11時、50人のバンド演奏と。入場料は男性5ペソ、女性は無料。


これは1910年に、アルゼンチンを代表する新聞のLa Nación紙に掲載された、ダンスカーニバル最終日についての告知内容です。
そのカーニバルではタンゴだけでなく、ポルカやマズルカと言った様々なダンスが踊られたと言います。


しかし同時に、同じ新聞に「タンゴはコロン劇場にはふさわしくない」という内容の批判も書かれました。
というのも、タンゴは元々、労働者たちが集っていた酒場や売春宿から生まれたもので、中流階級以上の人々にとっては良いイメージでは捉えられていなかったのです。
しばらくして町の人々にも少しずつタンゴの文化的な面が受け入れられるようになり、その人気は広がりを見せていきます。
「その音色は、町の中の小さな通りで慎ましく生活する人々を笑顔にさせるだけでなく、この町の奥底に眠るメランコリー、深い悲しみや人生の苦みに寄り添うものである」
とは、この当時の有名な作家がタンゴについて語った言葉です。
そうして、街角やカフェなどで演奏されていたタンゴですが、素晴らしいグループへ向けて、観客は「¡Al Colón! ¡Al Colón!(コロンへ!コロンへ!)」という声で囃すようになったといいます。


批判の声がありながらも、タンゴ独自の公演にこぎつけた最初のものが1928年。「グラン・アート・フェスティバル」と呼ばれる企画の一環で、格式高い舞台の上でオーケストラ、歌手そして踊り手たちがタンゴのパフォーマンスを行いました。


しかし、タンゴをコロン劇場で聴くことが一般化することはありませんでした。ピアソラが自身のグループでコロン劇場で初めて演奏したのが1972年、"ブエノスアイレスの音楽"と題された、様々なグループが参加する1つのコンサートの中の一枠としての出演。
ここまでの約半世紀の間でも、指折りで数えられるくらいの数しかタンゴの公演はありません。


(1972年、ピアソラが初めてコロンのステージに立ったときの映像です)

伝統あるオペラハウスで大衆音楽の公演をするべきかという問題は別だとしても、クラシック音楽とポピュラー音楽のヒエラルキーは、様々な音楽のジャンルで見えてくるかと思います。
「ラプソディー・イン・ブルー」(1924年発表)でジャズとクラシック音楽の融合を成功させたことで知られるガーシュインも、最初はオーケストラの曲を書いても、「ティン・パン・アレー(大衆音楽、商業音楽を象徴するニューヨークの一角)上がりだろう」と軽視され落ち込んだというエピソードも残っています。
ピアソラは幼少期にニューヨークで、まさにこのガーシュインの演奏を近所の店で日常的に聴いており、そのジャンルをクロスオーバーさせ作品発表をしていた姿に大きく影響を受けていました。


そうして実際にピアソラが、このコロン劇場でのリサイタル公演を叶えたのが1983年、71歳で亡くなる約10年前のことです。


現在のコロン劇場でのタンゴのコンサートはというと、やはり多くはありません。
今回のような何か大きな記念行事があったり特別企画が組まれる際、頻度としては1,2年に一度、といったところでしょう。
それが今、この劇場で2週間に渡り14公演、アストル・ピアソラのタンゴが、現代のタンゴ演奏家によって再演・または新たなアレンジで演奏されているのです。
毎日、彼らがこのステージで魅せる素晴らしい演奏、そしてそこから垣間見えるタンゴ演奏家としてのプライドは、このコロナ禍も相まって毎日胸が熱くなります。これはタンゴ史の中でも大きく歴史に残るイベントに違いありません。


時差12時間のアルゼンチン。日本からは、殆どの公演が朝8時から、公式サイト(メニュー→"En vivo"で配信ページ)や、劇場の公式Youtubeチャンネルより無料で視聴することができます。またアーカイブも全て残っています。ぜひ覗いてみてくださいね。


ピアソラも空の上からきっと、したり顔で、喜んでいるに違いありません。

IMG_8135.JPG

(Piazzolla 100 años en el Teatro Colón /フライヤー)
 

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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