World Voice

中東・アフリカから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ/エジプト/ケニア

アラブは本当に「嘘をつく文化」なのか? ― 日本人が誤解するアラブ社会の「言葉」の役割

Odan 画像 - テーブルをはさんで会話を交わす人たちのイメージ

日本人に限らず、様々な国の人が「アラブは約束を守らない」「嘘をつくことが多い」といった印象を口にします。私の周りでも、アラブ文化にすっかりハマる人がいる一方で、強い違和感を抱き、アラブ社会を大嫌いになってしまう人を何人も見てきました。

日本政府は長年にわたり、アラブ諸国に対して経済協力や技術協力を続けてきました。その一方で、日本社会においてアラブ社会への理解が深まっているかといえば、必ずしもそうとは言い難いと思います。例えば国際協力機構をはじめとする公的機関の活動は知られていても、現地の人々がどのような言葉の感覚で人間関係を築いているのかについては、ほとんど語られてこなかったのではないでしょうか。

私は中東で 17 年ほど暮らし、現地で仕事をしながらアラブ世界と関わってきましたが、日本人が最も誤解しやすいのは、宗教や制度以前に「言葉」が担っている役割そのものだと感じています。

アラブ社会は「言葉」が評価される社会

アラブ社会では、 どれだけ上手に話せるか、どれだけ相手を気持ちよくさせる言葉を即座に返せるか、どれだけ美しく親しみのある表現ができるか...といった、いわば言葉のパフォーマンス能力が非常に重視されます。

沈黙は、美徳とは言えません。場の空気を言葉で埋め、相手を立て、関係をなめらかにすることが社会的に「できる人」の重要な条件になります。 これは性格の問題ではなく、文化の問題です。

日本人は言葉を「本心」だと受け取る

一方、日本人はどうでしょうか。日本では「不言実行」などという表現に代表されるように、軽々しく大きな言葉を使わない、本気ほど言葉にしない、言葉よりも行動や継続を重んじる、という感覚が強いです。日本人にとって言葉は内面の表明であり、覚悟の表現であり、約束に近いのです。とりわけ、いったん公に出された言葉には責任が伴うと認識されます。

この前提があるため、日本人は無意識のうちに 相手の言葉を「本心」として受け取ってしまいます。

もちろんすべての日本人が「不言実行」という哲学を持っているわけではなく、「有言実行」の人もいれば「有言不実行」の人もいることでしょう。この記事では個々のケースについて扱っているわけではなく、日本人とアラブの言葉に対する感覚の違いをあえて大胆な仕方で比べています。

同じ言葉でも重さがまったく違う

アラブの人々は、驚くほど自然に甘い言葉を口にします。アラビア語の歌などで Habibiti / Habibi という表現を聞かれた方もおられると思います。意味としては「愛する人」つまり英語でいう my dear にあたります。アラブ世界では、初対面であっても「愛する人」と呼びかけることに違和感を感じません。

男性であっても甘い言葉を平気で言います。 「君は月のようだ」「君しかいない」「一生大切にする」...こうした言葉は、決して珍しくありません。しかしそれは、必ずしも日本人が想像するような深い内面的決意の告白であるとは限りません。

多くの場合、それはその場で相手を喜ばせ、関係を良くするための美しい言葉として語られています。 日本人が感じる「重さ」と、アラブ社会で使われる言葉の「役割」はそもそも違うのです。

アラブ社会に存在する「مجاملة(ムジャーマレ)」という社交儀礼

アラブ社会の「言葉の文化」を理解するうえで、 どうしても欠かせない概念があります。 それが مجاملة(ムジャーマレ)です。ムジャーマレとは、相手を喜ばせるためにかける言葉、場の空気を和らげるための言葉、関係を円滑に保つための表現の総称です。同じ語源の جميل(جميلة) ジャミール・ジャミーラは美しいという意味の単語です。

アラブ世界ではムジャーマレは立派な社交儀礼であり、 人間関係を築くために欠かせないスキルとされています。 日本語で言えば「お世辞」に近いのですが、完全に一致するわけではありません。まず日本語の「お世辞」には「打算的である」「本音ではない」など、否定的な響きがあります。一方、ムジャーマレには必ずしもネガティブな意味はありません。 むしろ、人と人の関係を壊さないための必要な潤滑油、相手への敬意を示すための技術として肯定的に受け取られています。相手に最大限の賞賛や敬称を贈ること自体が、リスペクトの証でもあるのです。

ムジャーマレは、恋愛だけでなく日常会話でもビジネスでも初対面のやり取りなど、あらゆる場面で使われます。例えば「あなたみたいに素晴らしい人はいない」「あなたは最高だね」「あなたと出会えて本当にうれしい」...といった言葉の多くも、 ムジャーマレの延長線上にあります。これらは、日本人が受け取るような「内面の強い告白」や「深い決意の表明」とは限りません。多くの場合、その場の関係性をなめらかにし、空気を整えるための言葉です。

なぜ「嘘」や「偽善」に見えるのか

ムジャーマレは行き過ぎると、 外から見る人間には「偽善」や「白々しさ」に映ることがあります。 実際、ヨルダンで知り合ったイタリア人の友人は「どうしてもアラブのこの『偽善』が受け入れられない」とよく口にしていました。しかしこの違和感は、 アラビア語のニュアンスが分かるようになってくるとかなり薄れていきます。 それが「嘘」や「偽善」なのではなく、 社会に共有された話し方のルールであることが見えてくるからです。 実際私も、最初は違和感を感じてどうしても使えなかった先ほどの habibiti (愛する人) という呼びかけを気がつけば誰に対しても使うようになっていました。habibiti と呼びかけないと、どこかよそよそしく感じてしまうほどです。

ただ興味深いのは、ムジャーマレの使われ方にも地域差があることです。 一般にレヴァントと呼ばれる地域、 すなわちレバノン、シリア、ヨルダン (正真正銘のベドウィンは除く)、パレスチナでは、 ムジャーマレは欠かせない社交儀礼であり、 しばしば「多すぎる」と感じるほど頻繁に使われます。 一方、エジプトの特に都市部はレヴァント地域よりクールで、初対面の人に habibiti というようなことはありません。ムジャーマレにはいくつもの表現があり、منورة (来てくれて場が明るくなった、という意味の決まり文句) はエジプトでかなりよく使われます。同じエジプトでも地方に行くとムジャーマレが過剰に感じられる場面が多いと感じます。

つまりアラブ社会の中でも、 ムジャーマレを多用する文化と、 比較的控えめな文化が存在しています。実際、アラブ世界の内部でも 「ムジャーマレは偽善ではないのか」 という議論が持ち上がることもあります。それでも、ムジャーマレがアラブ社会において極めて重要な世渡りの技術であることは、ほぼ共通認識です。

そして日本人が最も戸惑うのは、 このムジャーマレを日本語の感覚で「本心の表明」と受け取ってしまう点にあります。アラブ社会においてムジャーマレは、気持ちの深さを測るための言葉や誠実さを示すための言葉ではありません。あくまで関係を壊さず距離を縮め、場を成立させるための言葉なのです。

ちなみに、このムジャーマレはアラブ世界を理解するうえで切っても切れない存在である反面、その機能は非常に奥深く、アラブ同士であっても感覚には個人差があります。ですから外国人の私がムジャーマレを完全に説明することはまずできません。また、どこまでがムジャーマレでどこからが本気の気持ちなのかは、アラブ同士でも必ずしも共有されているわけではありません。だからこそ、アラブ社会の内部でも誤解や行き違い、期待のズレは普通に起こりえます。ムジャーマレは人間関係の潤滑油である反面、相手の本気度や誠実さを測る上では、アラブ世界においても難しさを抱えた存在だといえるのです。

もっとも日本社会にムジャーマレに似た要素が全く存在しないわけではありません。ビジネスの場でよく使われる「前向きに考えます」「またご連絡します」といった表現は、必ずしもそのままの意味で受け取られる言葉ではなく、場の空気を壊さずにやり取りを終えるための、いわば日本版の社交辞令ともいえます。ただ、大きく異なるのは、日本ではそうした表現であっても、どこかに「本音」や「実際の判断」が別に存在していると多くの人が想定している点です。日本人は社交辞令を使いながらも、その背後にある本心や最終的な態度こそが重要だと考えがちです。この「言葉の裏側に本心がある」という前提そのものが、アラブ世界におけるムジャーマレの感覚とは大きく異なっています。


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ビジネスの現場でも現れる「言葉の文化」

この「言葉の文化」は、恋愛だけではありません。私が中東で仕事をする中で最も戸惑ったのも、まさにこの部分でした。アラブ社会では、初対面であっても、ビジネスの場でさえ、「あなたは私の家族だ」「私たちは兄弟だ」「僕のことを大きなお兄さんだと思ってほしい」といった言葉がごく自然に使われます。

日本では、仕事と私生活は分けるべきだという意識が強いです。そのため、ビジネスの場で突然「家族だ」と言われると、多くの日本人は思わず身構えてしまいます。実際、私自身も最初は「なれ合いになるという意味なのだろうか」「仕事をきちんとするより、人間関係を優先するということなのか」と戸惑いました。

「家族だ」という言葉の現実的な意味

あるとき、ヨルダン人の会計士の友達が初対面の外国人ビジネスマンに向かって「あなたは私の家族です。安心してください」と自信満々に言った場面に立ち会ったことがあります。相手の男性は、中東でのビジネスに苦労し、 人を簡単に信用できなくなっていた人物でした。その様子を見ながら、私は内心で「もう、そんなことを言わなくてもいいのに‼」「むしろ逆に警戒されてしまうってことが分からないのか」と感じていました。

実際、アラブ社会で使われるこの「家族だ」「兄弟だ」という言葉は、非常に端的に言えば「これからよろしくお願いします」という程度の意味合いで使われていることが多いです。本当に責任を引き受ける、自分の立場や利益を犠牲にしてでも守る、という意味を必ずしも伴ってはいません。嘘ではありませんが、日本人の期待とはズレているのです。

だからといって、アラブが嘘をついているわけではありません。実際に親身になろうとしてくれる人もいます。ただし重要なのは「してくれること」と 「こちらが期待していること」 がしばしば大きくズレているという点です。アラブ社会の「家族」や「兄弟」という言葉は、 日本人が思い浮かべるほど重くて拘束力のある概念ではありません。その言葉に日本人と同じ重さを期待してしまうと、必ずどこかで失望が生まれます。

日本人が最も誤解しやすい理由

日本人は、 言葉=本心、言葉=覚悟、言葉=責任と受け取りやすいです。一方でアラブ社会では、言葉はまず人間関係を円滑にするための技術として使われます。ここに、埋めがたいズレがあります。

アラブ世界は言葉を使いこなす。日本人は言葉を信用しすぎる。つまり、極めて単純に言えば、 アラブ社会は話すことで関係を作る社会であり、日本社会は多くを語らずに信頼を積み重ねる社会なのです。どちらが正しいという話ではありません。しかし実害が出ることもあり、この違いは、 恋愛や結婚、そしてビジネスの現場において、想像以上に大きな影響を及ぼします。

私自身のエピソードを一つ。ヨルダンで暮らし始めた頃、ムジャーマレの感覚が分からず戸惑うことが多々ありました。あるとき近所の青年が「空港まで送るよ。大丈夫、問題ない」と何度も強く申し出てくれたことがありました。私は日本の感覚でそれを「約束」と受け取り、念を押した後でお願いしました。ところが実際には、必ず実行できるから請け負われたわけではありませんでした。その場で相手を安心させ、関係をよく保つための言葉―ムジャーマレだったのです。

正直に言って、私にとってはありがた迷惑でした。どこまでがムジャーマレでどこからが本気なのかはっきりと分からないので、アラブ世界では実害を防ぎ自分の身を守るために予備プランを必ず備えておく、ということをヨルダン時代の初期に叩き込まれました。結果として私は、言葉を「確約」ではなく、その場の関係を整えるための表現として受け止めるようになりました。

このように、アラブ社会を理解するうえで大切なのは「何を言っているか」ではなく、 その言葉がその社会の中でどんな役割を持っているのかを見ることだと思います。

ムジャーマレのような言葉のやり取りは、翻訳だけでは意味が伝わらず、アラビア語を通して初めてその社会の距離感や礼儀の感覚が見えてくるものです。実際にはアラブ社会では驚くほど多くの人が、ほぼ同じ表現を、同じ文脈で繰り返し使っています。だからこそ、アラブ世界に来る人はまずいくつかのムジャーマレを知っておくだけでも、人との距離の取り方はずいぶん楽になるのではないかと思います。



 

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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