World Voice

中東・アフリカから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ/エジプト/ケニア

ケニア人が教えてくれた「陽気なアフリカ人」像の落とし穴

Odan - ケニア人の子供たちの笑顔

ひょんなことから、私はケニアに移動することになった。エジプトに居を定めてまだ一年あまりだった。もう少し滞在するつもりでいたのに、人生とは本当に分からないものだ。

そして、自分がいつかアフリカに住むことになろうとは、これまた想像もしていなかった。アフリカという大陸は、私にとって 50 年以上、未知の世界だった。もっとも、自分にとって遠かったからといって、すべての人にとって遠い場所とは限らない。日本に住んでいた頃、アフリカ人と結婚している日本人女性にも何人か出会ったし、ネット上にはアフリカとの結婚生活を綴るブログも少なくない。

それでも、私にとってアフリカは「遠い場所」だった。憧れはあったが、未知であるがゆえの漠然とした不安もあり、ひとりで足を踏み入れる気にはなれなかった。いつか、いつか......と思いながら。

そんな話を友人にすると、こう言われた。「私たちにとっては中東だって同じだよ。中東は平気でアフリカは怖いって、どういうこと?」笑われてしまったが、私にとって中東はこの上なく落ち着く場所なのだ。きっと、アフリカに慣れ親しんだ人は、同じように思っているのだろう。

さて、一般的に「アフリカ人」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。明るくて、声が大きくて、どちらかといえば「ケ・セラ・セラ」的な陽気な人たちだろうか? 私の中では、アフリカ人とはそういう存在だった。日本で接していたナイジェリア人の友人がまさにそのような性格だったこともある。いつしか私が抱くアフリカ人のイメージは、「よく主張し、時にかなりアグレッシブ」にすり替わっていた。

しかしケニアに来て、その勝手に描いていたアフリカ人像と、現実のアフリカ人があまりにも違うことに、私は驚かされた。ケニア人はとても大人しく、控えめで、シャイで、そして何より声がとても小さい。男女問わずだ。申し訳ないが、正直よく聞こえない。

中東のアラブ社会で 17 年暮らしてきた身としては、そのギャップがなおさら大きい。初めてアラブ世界に足を踏み入れたとき、「喧嘩しているのか?」と思うほど、彼らの声は大きく、その勢いに圧倒された。

もともと声が大きく、日本では「なおちゃんとは内緒話ができない!」と言われていた私だが、アラブ世界ではそれがまったく問題にならなかった。ふと気づくとこの上なく自分らしくいられる場所になっていた。

ところがケニアでは、皆がささやくように話す。声のトーンは低く、アラビア語の弾丸のようなスピードとは対極で、会話のペースも驚くほどゆっくりだ。アラブのテンポに慣れていた私は、思わずイラっとしてしまうことさえある。そのうち私も、ケニア人のようなペースになるのだろうか。

ケニア人の多くは「ケ・セラ・セラ」とはむしろ対極で、どちらかといえば哲学的だ。深い話もできるし、親しくなるにはそれなりの時間がかかりそうだ。人見知りで、簡単には心を開かない。今、ケニアではアグレッシブなのはむしろ私のほうだ。

中東で 17 年暮らす中で、私は「主張すること」を学んだ。声を上げること、自分の考えを明確に言うこと。それは生き抜くための術であり、同時に、私自身を形作ったものでもある。 だから今、ケニアでは、私はかなり異質な存在なのかもしれない。かつて私がアラブたちの勢いに驚いたように、今度は私が驚かれる側になっているのだろう。

声のトーンが高く、話すスピードが速い。ケニアの静かな会話のリズムの中では、それだけで目立ってしまう。とりあえずは、声のトーンを落とさねばならない。そして、話すスピードを抑える。新たな課題である。

そして、ここで私が「白人」に分類されるという現実にも、改めて気づかされた。ケニアでは私は「ムズング (白人)」と呼ばれる。私は黄色人種なんだけど...と思うのだが、彼らにとっては黒でなければ白。 私を見て火が付いたように泣き出す子や後ずさりする子もいる。私のカバンの中から注射針が出てくるのを恐れているらしい。ケニアで注射針をもって家々を訪ねる医師や看護師の多くが「ムズング」だからだ。

newsweekjp_20260122203222.jpeg子どもたちが私をじっと見つめるとき、いつ泣き出されるかとひやひやする... 筆者撮影

白人=自分たちより上、という見方は今もなおケニア社会に根強く残っているのだそうだ。ケニア人が口をそろえて言うのだから、それは「今も残っている感覚」なのだろう。それは誰かが意識的に教え続けたというより、植民地時代から世代を越えて染み込んできたものらしい。

私が「ムズング」と呼ばれるとき、それは単なる肌の色の話ではない。そこには歴史と力関係、そして今も残る距離感が含まれている。日本は植民地になったことがない。だから私には正直この感覚が分からない。けれどケニアで暮らし、ケニアの人たちと接するなかで、今は想像の外にある部分も少しずつ分かってくるのかもしれない。

同時に、私は考えずにはいられない。私たちが抱いてきた「アフリカ」というイメージは、一体誰が作ってきたのだろうか。 「明るく陽気な人々」 「貧しく、助けを必要としている場所」 ...そうしたイメージの多くは、アフリカの側からではなく「見る側」によって形作られてきたのではないか。

テレビや映画、ニュースや支援広告に映るアフリカは、しばしば「分かりやすいアフリカ」であって、「生きているアフリカ」ではない。ケニアで出会う人々の静けさや思索的な佇まいは、私が長年無意識に抱いていたアフリカ像とは、あまりにも違っていた。

私も含め、知っているようで知っているのは実はほんの一部。あるいは完全に間違っていたりすることもある。こんなに情報が溢れた世界でも「無知」でいることは簡単だ。それはほとんどの人が、自分にとって心地よい情報だけを無意識のうちに選択しているからかもしれない。だから、自分が選択しない情報はなかなか入ってこない。アフリカに対する一般的なイメージがその典型のような気がする。

ケニア人は挨拶をとても大切にする。知らない人にも自然に声をかける。目が合わなくても、だ。彼らはシャイで、しっかり目を合わせることは少ないが、だからといって無関心なわけではない。

英国に住む娘を訪ねたケニア人の友人が、こんなことを言っていた。「一番のカルチャーショックは、誰も挨拶をしないことだった」と。それなら、日本はもっとそうかもしれない。見て見ぬふりをするのが日本人だから。

ケニアに来てから、私は「アフリカは」とひとまとめにすることをやめた。あまりにも多様で、あまりにも違っていて、とても一つの言葉では括れないからだ。それでも私たちは、つい「アフリカはこうだ」「アフリカ人とはこういうものだ」と言ってしまう。イメージで語るほうが、理解した気になれるからだろう。けれど、その「分かったつもり」と現実とは結構かけ離れていたりする。

「住んでみないと分からない」という言葉は、あまりにもありふれている。けれど、実際に住んでみて初めて「分からないまま分かったつもりになっていた自分」に気づかされることがある。

確かに、ケニアは、そしてケニアに限らずアフリカは、汚職や権力支配といった言葉と一緒に語られることが多い。それはがんとした現実でもある。でも、私がここで書きたいのは、そうした「問題としてのアフリカ」だけではない。

私が日々接しているのは、ニュースになるような話題よりも、声の小ささだったり、沈黙の長さだったり、挨拶の仕方や、人との距離の取り方だったりする。私は、ここで実際に生きている人たちのあり方のほうを書きたい。それは地味かもしれないけれど、私にとっては一番リアルなケニアでもあるのだ。

 

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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