
NYで生きる!ワーキングマザーの視点
千葉からニューヨークへ ~ ピアニスト結束真琴、世界へ広がる音楽の舞台
ニューヨークには、多くの日本人アーティストが夢を追って集まっている。今回紹介するのは、クラシックピアニストとして世界で活動を広げる若き演奏家だ。幼いころから音楽に囲まれて千葉で育ち、現在はニューヨークを拠点に活動している。
彼女の家には、生まれた時からピアノがあった。母親がピアノを教える先生だったこともあり、自然と音楽が身近にあったという。
「幼少期にピアノへの関心も薄く、言われたことを全く直さなかったため、母から一度だけ楽譜を破られたことがありました。兄も母からピアノを習ってましたが、発表会の時に緊張のためトイレに隠れて出てこれなくなってしまって、それ以来続けることはありませんでした。」
最初は母親の影響でピアノを始めたが、小学校4年生頃から別の先生に師事。やがて武蔵野音楽大学附属の音楽教室に通うようになった。千葉から練馬まで、毎週土曜日に片道約2時間。小学生が一人で通うにはかなり大変な距離だった。

「今思うと、小学生が一人で2時間も通うなんて大変ですよね。でも当時はそれが普通でした。」
ただ、その経験を通して芽生えたのは、小さな子供ながら「どんなに大変でも続ける」という強い気持ちだったという。いくら安全な日本とはいえ、小学生が一人で電車に乗って通うのは決して簡単なことではない。常に緊張感もあったはずだ。
音楽教室には高校3年まで通ったという。
当初はピアノが特別好きだったわけではなかった。
「言われたから弾く、という感じでした。練習していた記憶もあまりなくて。」
しかし、音楽の世界に本格的に向き合い始めたのは音楽大学への入試やコンクールを意識するようになってから。ソルフェージュ(Solfege。音楽の基礎能力を鍛えるためのトレーニング)など、本格的なトレーニングが始まり、周りには実力の高い学生が多かった。
「すごく上手な子たちがいて、刺激を受けました。」
実力の高い学生が集まる環境の中で、コンクールなどの評価について考えることも増えていったという。
「音楽はスポーツのように勝敗を競うものではなく、本来は順位よりもどれだけ自分の音楽を奏で、人の心を動かせるかが大切なものだと思っています。そのため、コンクールの結果はあくまで一つの評価に過ぎないとも感じています。
ただ、特に全国大会で一位をいただいたときは、自分の音楽が評価されたことが大きな自信につながりました。演奏にはそれぞれ異なる解釈や音色、スタイルがあり、審査も人の感性による部分があったりもします。
コンクールの結果に一喜一憂することが必ずしも大切だとは思いませんが、挑戦を通して多くの学びや経験を得ることができたことは、今の自分にとって大きな財産になっています。」
学生生活は必ずしも順風満帆ではなかった。小中高の時代、いじめを経験したこともある。千葉の中学校では、突然理由もなく呼び出されたり、無視されたり、上履きが下駄箱からなくなったこともあった。
「最初はショックでしたけど、私は逆に無視しました。」
高校は都立総合芸術高等学校へ進学した。千葉のローカルな小中学校とは対照的に、音楽科のクラスは女子の数が圧倒的に多く、裕福な家庭の生徒も少なくないこともあり、これまでとはまた違った環境だったという。実力の高い生徒が集まる学校でもあり、自然と競争意識が生まれやすく、人間関係にも独特の緊張感があった。
「高校時代は音楽科クラスということもあり、個性の強い生徒も多く、人間関係や噂が広がりやすい面もありました。そうした中で、競争社会ならではの難しさを感じることもありました」と振り返る。
しかし、そうした経験が精神的な強さにつながったのだという。

小学生の頃から留学への憧れはあった。
大学院在学中、英会話スクールに通い始めた。通えば通うほどお得なシステムだったため、大学院に通いながら1日3時間通うこともあったという。
「留学したい気持ちがどんどん強くなりました。」
大学院修了後、1年間英語を勉強し、IELTS(International English Language Testing System)を受けた後、アメリカへの留学を実現させた。
クラシック音楽の世界ではヨーロッパに行く人が多い。しかし彼女はあえてアメリカを選んだ。
「クラシックだけじゃなくて、エンターテインメントとしての音楽表現を学びたかったので、アメリカだと思ったのです。」
彼女が留学したのは、インディアナ大学ジェイコブズ音楽院。世界的に有名な音楽教育機関だ。ここには世界中からトップレベルの学生が集まる。奨学金制度も充実しており、実力のある学生は授業料が全額免除になるケースもある。
「本当に世界トップレベルの人たちが来ていました。」
インディアナでは弦楽器が特に強く、ピアノだけでなくフルートやチェロ、バイオリンなど他の楽器の奏者と演奏する機会も多かった。
「ソロだけじゃなくて、他の楽器と演奏するのがすごく楽しかったです。」
しかし留学生活は決して楽ではなかった。英語が思うように通じないことも多く、精神的に苦しい時期もあった。
「ネイティブの環境だったので、最初は全然ついていけませんでした。」
そんな時、何度も母親に電話をかけたという。
「本当に無理なら帰ってきていいよって言われたんです。でもここで帰ったらダメだと思いました。」
幼い頃から努力してきた「諦めないで、ねばり強く立ち向かう」という経験が、彼女を支えた。
現在はニューヨークに拠点を移し、演奏活動を続けている。ピアノ教師として子供たちに教える一方、音楽ライブバーなどでピアノ演奏をすることもあるという。
「教えるのは全然違うスキルですね。子供はまず座ってくれないので(笑)」
教育機関「育英学園」にも関わり、ピアノを教えている。
将来については、日本とニューヨークの両方で活動したいと語る。
「どちらか一つではなく、両方で演奏活動を続けたいです。」
2026年4月にはノースカロライナ州アッシュビルでクラリネット奏者とのコンサートを予定している。またニューヨークでも4月にリサイタルを開催予定だ。
「まだ舞台は緊張します。でも、お客さんが涙してくれていたりすると、音楽が届いたのだと、本当に感動します。」
彼女はソリストだけでなく、伴奏にも魅力を感じているという。
「私は誰かを支える演奏が好きなんです。」
我の強いタイプではなく、他の演奏家と一緒に音楽を作ることに喜びを感じている。
ピアニストとして、そして音楽家として。世界の舞台で経験を重ねながら、彼女の挑戦は続いていく。
「拠点を一つに決めず、いろいろな演奏家と演奏していきたいです。」
ニューヨークから世界へ。若き日本人ピアニストの旅は、まだ始まったばかりだ。

結束真琴(けっそくまこと)

- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com




















































