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シアトル発 マインドフルネス・ライフ

長野弘子|アメリカ

『鬼滅の刃』の「鬼」とは 〜 ペルソナとシャドウから紐解く鬼の存在

映画サイト『FILM』より。映画『鬼滅の刃』の興行収入が『千と千尋の神隠し』の316億円を抜いてトップに。(出典)https://www.slashfilm.com/demon-slayer-box-office-japan-record/

 アニメ好きのアメリカ人は多いが、今年はセッション中に結構な数のクライアントから『鬼滅の刃』の話題が出た。劇場版『鬼滅の刃・無限列車編』は、映画の興行収入でこれまで最高額だった『千と千尋の神隠し』の316億円を抜いてトップになったというのだから驚きだ。空前のヒット作という事でコロナ禍を吹き飛ばすような経済効果を期待したい。アメリカでの映画上映は2021年初頭の予定なので、それまでにはシアトルの経済活動の制限も解除されて近所の映画館も開館してほしいものだ。

CNNのツイートより。映画『鬼滅の刃』の興行収入が『千と千尋の神隠し』の316億円を抜いてトップになったという記事。

 現在、子どもの日本語の勉強も兼ねて『鬼滅の刃』の漫画を一緒に読んでいるが、この作品のこれまでにない不思議な魅力に親子で惹き込まれている。シリアスな場面なのに笑ってしまうところや、心に刺さる数々の名セリフ、近代と前近代が交錯する大正時代の世界観など面白さは多々あるが、個人的には敵である「鬼」の描き方がとても秀逸だと感じた。鬼滅に出てくる鬼について、ユング心理学の視点から考察してみたい。

 鬼滅の刃に登場する鬼は、もともと人だった。それでは、なぜその鬼は、人である事を辞めて鬼になってしまったのだろうか。典型的なのが、挫折や喪失体験から感じる絶望、悲哀、怒り、後悔から心理的に回復するプロセスにおいて、他者を傷つけてでも自分は強くなりたいという利己的な理由から鬼になるパターンだ。つまり、人と鬼を分つものとは、挫折や喪失体験からの心理的回復プロセスにおける「価値基準」の違いとも言える。劇場版の鬼滅の刃で中心的な役割を演じる煉獄杏寿郎が、鬼である猗窩座(あかざ)から「お前も鬼にならないか?」と誘われた時、猗窩座に対して「君と俺とでは価値基準が違う」と断る場面がある。

 それでは、人間である事を選んだ杏寿郎の価値基準とは何だったのだろうか。杏寿郎の母は、「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」と息子に説いた。杏寿郎を人に留めた価値基準とは「人助け」であり他者との協力関係であり、鬼になる価値基準とは他者を蹴落としてでも優位に立ちたいという比較競争の価値観とも言える。そして、この比較競争の価値観は、資本主義社会に生きる私達は誰もが持っている。つまり、私達の中にこうした鬼が潜んでいるという事でもある。

The New York Timesのツイートより。『鬼滅の刃』の人気ぶりが記事になっている。

 ユング心理学では、自分がほかの人に自分をこう見て欲しいという肯定的な側面を「ペルソナ」つまり「仮面」と言い、その逆に否定して絶対に認めたくない側面を「シャドウ」つまり「影」と呼ぶ。たとえば、「責任感が強くしっかりしている」と周囲に思われている人は、実は心のどこかで自分が「頼りない存在」だと思っていて、その影の部分を知られたくないので無理して仕事を頑張ってしまう側面がある。また、「思いやりがあって優しい」と評判の人が、実は冷たくて薄情な影の部分を持っていて、自分の妻や夫には冷淡で攻撃的な態度を取ったり、暴言を吐く場合も多い。しかし、影は意識上には表れないので、相手が悪いから自分は怒っていると自分の言動を正当化し、相手をさらにコントロールしようとする。

 このように、影は他人に対しての否定的な「投影」となって現れる事が多い。投影とは、無意識の領域に抑圧した自分の影が、似たような側面を持っている他人に反応して表面上に現れる事だ。たとえば、仕事が遅い同僚に対してイライラする場合、本当は「時間を気にせずにゆっくり仕事をしたい」というマイペースな影の自分がいるが、親や先生から「早くしなさい」と言われ続けて「ゆっくりするのは悪」だと思い込み、何度も時間をチェックしながら焦って仕事をしている。そこにマイペースな人が登場すると、自分が禁止している事をやっているので「信じられない!」と怒ってしまう。

 『鬼滅の刃』に登場する鬼を、弱い心を持った他人として捉えるのではなく、自分の中にいる鬼、つまり自分の影として捉えるとそれは自己成長の物語になる。つまり、自分の中の認めたくない影が投影された人は、自分にとって「嫌な人」の役割を演じてくれていると解釈をするのだ。したがって、その人を責めたり変えようとするのではなく、その人に投影された認めたくない影を受け入れてあげる事が大切だ。自分の影を受け入れていくと、ペルソナと影の統合が進み、だんだん周りの人への投影も減ってくる。つまり、嫌な人が目の前にあまり登場しなくなり、ストレスも減る。周りからは、「丸くなったね」とか「人間としての器が大きくなった」と思われるだろう。

 その逆に、自分の影を無意識の領域に抑圧し続けると、他人を変えようとしたり人間関係がこじれたりして、心はますます満たされなくなるだろう。影の投影が家族や友人といった個人だけではなく、特定の共同体やグループにも広がり、「この世の中は腐っている」、「この国は最悪だ」、「この民族は悪だ」といった排他的思想や憎悪につながる危険性もある。自分の影を受け入れるのはとても勇気がいる事だが、それに気づいて受け入れた時、その認めたくない側面は逆に魅力的な個性にもなりうる。自己受容のプロセスにおいて、排他的思想や憎悪という自分の心の中にいる鬼も認めてあげる事、それがペルソナと影の統合とも言える。

 『鬼滅の刃』の「鬼」に関しては、いろんな解釈の仕方があり、それこそ十人十色だと思うが、いい作品というのは想像力を掻き立てて多様な解釈を生み出すことだけは確かだろう。

 

Profile

著者プロフィール
長野弘子

米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院でカウンセリング心理学を専攻。現地の大手セラピーエージェンシーで5年間働いたのちに独立し、さまざまな心の問題を抱える人々にセラピーを提供している。悩みを抱えている人、生きづらさを感じている人はお気軽にご相談を。


ウェブサイト:http://www.lifefulcounseling.com

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