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イタリアの緑のこころ

石井直子|イタリア

高度経済成長期1950年代以降に過疎化が進んだ小村とその今

過疎化が進んだアブルッツォ州の小村、ナヴェッリ photo: Naoko Ishii 2014/7/19

 夫が生まれ育ち、義父母が長い間暮らした家は、ペルージャの北方にそびえるテッツィオ山(Monte Tezio、961m)中腹の小村にありました。第二次世界大戦前後には、ペルージャの町はずれにあった多くの地域では、大勢の人々が農耕に従事し、山間に点在する村には、それぞれに教会や店があり、住民どうしの団結も固かったのだそうです。

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かつては大勢の村人でにぎわっていたテッツィオ山中腹の小村、ミジャーナ・ディ・モンテ・テッツィオ photo: Naoko Ishii 2023/6/23

 それが、「奇跡の経済」とさえ言われる1950年代後半から1960年代前半のイタリアの高度経済成長期には、新たに生まれた諸産業の働き手として、多くの人々が町やその近郊へと移り住み、かつてはにぎわっていた多数の村で、過疎化が進んでいきました。わたしがイタリアに来て初めて半年近く暮らしたマルケ州の小さな村では、ちょうど同じ頃に、ベルギーの炭鉱やローマへと職を求めて移住した人が大勢いたとのことです。ベルギーやローマから再びその小村へと、大人になってから、あるいは高齢になってから戻ってきた方たち数人と会って、そのことを知りました。

 数年前のアブルッツォ旅行中には、村の住民の大半が、アメリカやカナダに移住した小村がいくつもあることを知りました。宿に宿泊したちょうどその日が、宿の主人のアメリカに移住した親戚たちが、50年ぶりに休暇に戻ってくるという日で、その大勢の親戚の方が並ぶ夕食の席に、招待してもらったこともあります。

 幸い、ペルージャの場合には、今はスイスの企業、ネスレの傘下となってしまったペルジーナや、ファッションブランドのルイーザ・スパニョーリなど、当時、発展していた企業があり、大勢の求人もあったおかげで、地方の小村を去りはしたものの、ウンブリア州を離れずに、ペルージャやその近郊に移り住んだ人々が多いようです。義父母同様に、テッツィオ山中腹の小村に暮らしていた親戚の中には、その後、ペルージャに移住して、ペルジーナやルイーザ・スパニョーリに勤めた人が少なくありません。義父母の場合は、小村の教会の教区司祭として務めていた夫の伯父と共に暮らし、その教会活動を手助けしていたために、ペルージャ市の職員として働いてはいたものの、山の村を後にしたのは、伯父の教区がこの山の村からペルージャ郊外の村へと移ってからでした。かつては数百人が暮らしていたという山の村には、夫たちが後にしたときには、もう他の一家族が残るばかりで、そのために教会でも、もうこの教区に教区司祭は不要だと判断したのでしょう。

 義母が生まれ育った、トスカーナとの州境にある小さな村でもやはり過疎化が進み、以前から暮らす住民はいなくなり、ハンガリーの伯爵とその家族が、村の古城や残された住民の家をすべて買い取り、改築して豪華な別荘にして、賃貸住宅として貸したり、不動産として販売したりしています。この村の場合はそのために、かつては自由に通れた道路でさえ、今は許可がなければ進入禁止になっていて通ることができなくなっています。

 閑話休題。ウンブリア州のかつて過疎化が進んだ村の中には、現在では、特に町はずれの平地である場合には、不動産価格や家賃が高騰した町からUターン、あるいはIターンで戻ってくる人が増えて、以前よりも住民が増えているところもあります。一方、ウンブリア州に限らず、トスカーナ州やアブルッツォ州の山間で、かつての住民がいなくなってしまった、あるいはひどく少なくなってしまった村を、イタリア国内あるいは海外の資産家が買い取って、芸術家を呼び寄せたり、あるいは住宅を改築して貸し出したりして、村の再興を図っている例もあります。

 イタリアで山を歩いていると、道路も電気も通らない山の中にあるかつての住宅群が、今はだれも暮らす人がいなくなって、屋根や壁が崩れ落ちていっている、そういう場所を通りかかることがあります。一方では、ウンブリア州の南部で過疎化が進んだ村の家を、主にローマの人々が休暇用の家として買って改築し、週末や夏などにだけ利用しているという村もあります。こうした村の家を購入したのが外国人であれ、イタリアの他地域の住人であれ、村が昔とは違ったものになってしまうことを憂える声も聞きますが、そういう形であっても、村が存続し続けるということは、地域のためにも、またイタリアという国のためにも、大切なことだと思います。

 こういう状況ですから、過疎化の波に抗って、山間にありながら、今も昔から住む人が大勢いるという村は、とても貴重なかけがえのない文化遺産であると言えます。2016年のイタリア中部地震で被災した市町村の中には、ノルチャやカステッルッチョをはじめとして、そういう村が多く、だからこそ地震からの再建と復興が早く行われることを願ってやみません。

 

Profile

著者プロフィール
石井直子

イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。

ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia

Twitter@naoko_perugia

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