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イタリアの緑のこころ

石井直子|イタリア

腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり

ペルージャのペルージャ外国人大学の学舎、ガッレンガ宮殿とエトルリア門 2015/4/22 photo: Naoko Ishii

 わたしが夫と出会ったのは、2003年12月のとある晩でした。その秋に、ペルージャ外国人大学の学位取得課程に編入したわたしが、外国人へのイタリア語・イタリア文化教育を専攻して、通っていた授業の中に、応用言語学の授業がありました。授業では、それぞれの文化における行動様式や言語活動の違いなどを学ぶことができて興味深かったのですが、学期末が近づいた頃に、成績は、提出したレポートと筆記試験で評価するという話がありました。そうして、そのレポートは、イタリア人どうしの自由な会話を録音して、その会話の一部を書き起こし、その会話のメカニズムを分析するというものでした。

 イタリア人どうしの自由な会話を録音するようにと言われても、自分は会話に参加せずに、人が話すのを録音できるような機会をどうやって見つけたらいいのだろうと困っていたある晩のことです。同じアパートに下宿していたイタリア人女性から、「スライドを見せながら最近の旅行について話をするからと、友達から呼ばれているんだけど、わたしは今夜は行けないから、あなたたちが行って」と声をかけられて、「レポート作成に必要な、イタリア人どうしの自由な会話を録音できるいい機会だ」と考えたわたしと、「イタリア人とイタリア語で話したい」と思っていた韓国人の女性と、招待した人を知っていたスペイン人の友人と、3人で行くことになりました。

 誰かの家やパーティーに呼ばれたときに、呼ばれた自分だけではなく、配偶者や恋人といっしょに行くことは、イタリアではよくありますし、誰か友人もいっしょに連れていくことも、時々あるのですが、自分自身は行かずにというのは珍しいと思います。何はともあれ、そうして旅行の話が行われる家に到着し、わたしたちも含めて9人が集い、旅行の話を聞いたあと、大きなテーブルで、おしゃべりが始まりました。ラジカセを持参して行ったわたしは、あらかじめ家の人に、会話を録音する許可をもらっていました。

 応用言語学の授業では、それぞれの文化によって、会話の規則が違うのだということを学んでいました。例えば、数人が集まって話をするとき、日本であれば、誰か他の人が話しているときは、その人の話が終わるのを待って、あるいは他の人から発言を求められたときになって、話すことが多いように思います。一方、イタリアでは、他の人が話していても、「今自分が言いたいことがある、この話をしたら皆が興味を持つだろう」と考えれば、私の場であれば、口を開いてもいいというのが、イタリアにおける一般的な会話の規則だというのです。世界の文化によっては、話の腰を折らないと、「まったく興味がない、おもしろくない」と考えているようで失礼だとみなされることさえあるらしく、そういう会話の規則の違いによる文化摩擦についても、授業で学んでいました。

 閑話休題。9人中6人がイタリア人だったその晩も、複数の人が一度に話すということが、時々ありました。意見が食い違うと、つい感情が高ぶって、初対面の人とでも激しい口論になるというのも、人の性格にもよりますが、自分の意見というものをはっきり主張する人が多いイタリアでの方が、起こりがちかもしれません。

 この席でもそんなふうに、その晩に初めて出会ったイタリア人の男女二人が激しい口論を始める場面があったのですが、そのときに、ふっと穏やかな口調で二人の口論に関係のないことを問いかけて、その場をまるく収めた人がいました。授業では、会話のメカニズムの一つとして、口論が起こったときに、どんな過程を経て、再び場が和やかになるかも学んでいたのですが、この晩の激しい口論から穏やかな会話への転換は、まさにこのパターンだと思い、後日、この部分を書き起こして、レポートを書くことにしました。

 それはよかったのですが、その肝心の部分を書き起こそうとして、テープを聴いてみたわたしは困りました。複数のイタリア人が皆一同に話をして、声が重なってしまっているために、聞き取れない言葉が、ところどころにあったからです。

 旅行のスライドを皆で見た晩に、その日、初めて出会った、のちに夫となる人と、おしゃべりをしていたら、どういうきっかけか荘子の話になり、わたしが興味を持ったら、「本を持っているから、いつか貸してあげるよ」と言ってくれて、後日アパートに本を持ってきてくれたのですが、そのときに、テープで聞き取れない言葉を書き起こすのを手伝ってほしいと頼んだのは、そのときだったかもしれません。いくつもの人の言葉が重なっていると、イタリア人であっても聞き分けるのが難しかったようで、苦労しながら手伝ってくれました。

 文化が違うと、「こういうときには、こんなふうに行動する」という基準が、こんなふうに違うので、異なる会話の規則を持つ文化に育った人たちが集まって話すと、互いにわだかまりが残る可能性があります。

 こんなふうに、イタリアでは、日本のように自分が話す順番を待っていると、いつまでもそんなときは来なかったり、自分が話していても腰を折られたりすることがあるため、20年暮らすうちに、わたしもつい人の話の腰を折ったり、言いたいことがあったら、口をはさんだりできるようになりました。ただし、イタリアの人が相手ならそれでいいのですが、日本の人が相手である場合は失礼になるので、気をつけなければいけません。

 

Profile

著者プロフィール
石井直子

イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。

ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia

Twitter@naoko_perugia

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