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NYで生きる!ワーキングマザーの視点

ベイリー弘恵|アメリカ

世界のダンサーたちの夢ジャネット・ジャクソンとステージに立ったダンサーTOMO

©NY1page.com LLC,

スポーツ選手ならばオリンピックや世界大会に出ることを目標にするが、ダンサーはといえば、世界中の誰もが知るトップスター、ジャネット・ジャクソンのステージでダンスすることなのかもしれない。

ニューヨークで日々、ダンスのレッスンを積み重ねる若い世代も、ジャネットのバックで踊ることを夢見ているのだという。そのジャネットのバックダンサーとして5月にマジソン・スクエア・ガーデンのステージに立ったのがTOMOだ。

「私にとってジャネットと一緒のステージに立つということは、本当に素晴らしい経験でした。一瞬で終わってしまったような感覚でしたが、あれは現実だったのかな?と今になっても感じます。同時に、10年間の努力の結果がこれだったのだとも思います。

ご存じのとおりジャネットは世界中で知られるアーティストです。私が一緒にダンスを学んでるダンサーや、私がダンスを教えてる生徒たちも、彼女と一緒に仕事ができることを夢見ているに違いないです。

アメリカのダンサーたちにとって、ジャネットのバックダンサーになることは夢の一つなのです。私自身そうでしたから。」

私事になるが、5月に福岡へ帰省中、80代の母や叔父に「ニューヨークでたまに一緒に食事したりするTOMOちゃんは、ジャネット・ジャクソンのバックダンサーで踊ったんだよ」と動画を見せると、さすがに驚いていた。

田舎の高齢者でもジャネットのことは知っている。つまりインド人だって、ギリシャ人だって、アフリカ人だって世界中でジャネットを知らない人はいないのだ。そのジャネットの真横でダンスするTOMOちゃんの姿は凛々しい。

「私はこれまでダンスの師匠で友人のジョンテ(現在ビヨンセの振り付けをしてツアーにも参加中のダンサー)や、素晴らしい人々に支えられてきました。彼らは私のトレーニングや苦労を知り、いつも近くで応援してくれました。

ジョンテは、私がジャネットのステージを終えたあと、親日家なので『お疲れさま』と日本語で声をかけてくれて、『TOMO本当に頑張ったね、すべてを乗り越えて、ようやくここまで来たんだね』って。それを聞いた瞬間に、私は本当にダンスを続けてきて良かったとあらためて実感しました。」

tomojanet.jpg
©TOMO

10年前にこの中華のレストランで取材させていただいたのですが、あの当時、ミッシー・エリオットのバックダンサーに選ばれたのに、ビザの関係で断念したんですよね?そこからジャネット・ジャクソンやBTSのバックダンサーをやるまでに上り詰めたわけですが。この10年を振り返ってどう感じますか?

「ここで取材していただいたときは、プロモーションビデオのインストラクターとしても活動していました。それからファット・ジョーやリル・キム、カーディ・Bのようなアーティストのバックダンサーをやったり。

これまで常に次の仕事やチャンスを追い求めるために、クラスを受けるなどして人脈を広げてきました。そのためか、昔はがむしゃらにクラスを受けていました。が、最近は安定していて、余裕をもって仕事をどうやって見つけていくかを考えています。

小さなことからコツコツと着実に取り組んでいますし、どんな小さな仕事でも手を抜かずにやります。

少しずつできることをやり続けることで、自分の実力も向上してきました。教えることで実力もつけられたと思いますし、クリエイティブな能力や客観的な視点も養われてきました。自分自身の成長とともに進んでいる感じでした。

そういう風に、常に様々なアーティストと仕事をしてきたのですが、実はそれだけでは満足していませんでした。ようやくここにきて、アメリカンドリームをつかんだという気持ちです。」

実際にジャネットの横で踊るというのは、どういう感覚なのですか?

「ジャネットの横で踊ったときは、さすがに緊張しました。ショーは月曜日で、前日の日曜日に3時間だけのリハーサルでした。アメリカでは、どのステージでも音を入れてリハーサルをしないんですよ。サウンドチェックは、もちろんやりますが、ダンサーのために音を入れることはありません。

余談ですが、たまにリハーサルでやった曲順が本番で変わることがあったりもします。ダンサーには事前に知らされてないので、曲が変わってテンパるからか、ダンサー全員が対応できないことがあったりしてピリピリしていたり。ダンサーはそれぞれに自分のいるポジションをスイッチされたくないですから。

ジャネットとツアーで回っている男性のダンサー4人は、すでに何公演もこなしているからかチームワーク抜群で、家族のようにわかりあえているようでした。」

ダンサー6人中、女性が一人というのは、ステージでジャネットと女性同士でペアのように踊るので、特別なのだという。

「マジソン・スクエア・ガーデンでのリハーサルは3時間で、動きをすべてインプットしなければなりません。出演は1曲だけでしたが、ぶっつけ本番のようなショーだったんです。

ジャネットのステージは、緊張をぶっ飛ばすほどの楽しさを感じました。楽しさからか、自然と笑顔になりました。他のアーティストのステージではシューっとした雰囲気が求められることもありますが、ジャネットのステージはとにかく楽しかったです。

今思えば、リハーサル時間がたったの3時間だったにも関わらず、同じ時間だけ学んで、どれだけのパフォーマンスを披露できるのかが重要でした。

私は、振りを覚えることにかかる時間は人並みですが、それを自分のものとして表現するパフォーマンスまで持っていく時間は短いです。これまでに様々なトレーニングを積んできたからこそ、それが可能なのです。」

ジャネットのご指名でステージに上がったと伺ったが、どうやって選ばれたのだろう。

「BDC(Broadway Dance Center)でジャネットのコンサート・ツアーを祝福するために、キャンデース・ブラウンダニエル・ポランコがジャネットの曲を使ってコラボレーションし、ワークショップを開催しました。

ワークショップは瞬く間に完売してたのですが、ジョンテが私をゲストとしてクラスに入れてくれました。ワークショップを受けている最中に、実際にジャネットが現れました。」

ジャネットは後からこのワークショップのビデオを見て、TOMOを指名した。TOMOは舞い降りたチャンスをダンスの実力と、自分が必ず選ばれると信じたがゆえに勝ち得たのだという。

「ショーの後はジャネットやメンバーと楽しく飲んで、笑いました。ジャネットと写真を撮ってもらい、『You are so amazing』とジャネットからポジティブな言葉をもらえました。」

ステージの後は、集中力を使い果たしたためか、1週間くらいは疲れでぐったりしていたそうだ。

「日本にいる親や親戚はもちろん、近所のお年寄りだってジャネットのことはわかるし、日本の皆さんにわかってもらえるアーティストのバックダンサーになれたことは、親孝行になったので、本当によかったって思っています。」

【プロフィール】
TOMO
6歳からJAZZダンスを始め、9歳からHIPHOPを始める。 22歳に日本からNYへと拠点を移し、渡米して僅か1年でアメリカの代表的な女性HIPHOPラッパー "Missy Elliott" のバックダンサーを勤め、Janet/Madonna/CardiB/FatJoe/LilKim/MissyElliott/KeyshiaCole/JBalvin/BTSなど、メジャーアーティストのバックダンサーなどで活動。Banji Twerk TeamというCrewに属し、ニューヨークでは、PeridancePJMDanceNYCでクラスを持っている。世界各国のワークショップで呼ばれることが多い。日本人ながら特別ワークショップが開かれたり、アーティストの振り付けなど、彼女のダンスの魅力に惹かれるダンサーは今も尚増え続けている。

【関連URL】
TOMOインスタグラム
Youtube Tomo
Exile Professional GYM Tomoインスタグラムリンク
Peridance Capesio Center TOMO
NY1PAGE.COMでTOMOに取材した記事

 

Profile

著者プロフィール
ベイリー弘恵

NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。

NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com

ブログ:NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

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