コラム

社会に存在する問題に「真の名」をつけることの力

2020年03月17日(火)16時30分

『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)

<私たちがパワーを持つためには、現在起こっていることを誤魔化さず、見過ごさず、深く掘り下げることで、ものごとの「真の名」を見つけることから始めなければならない>

当欄でコラム連載中の渡辺由佳里氏が、コラム掲載記事などをベースに執筆した新刊『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)が今月(2020年3月)発刊された。筆者がアメリカのベストセラーを通じて、さまざまな社会問題を解説する本書......ここではその「あとがき」としての意味合いもある結びの一章を特別に掲載する。

◇ ◇ ◇


大統領選挙が行われた2016年から本書を執筆中の2019年にかけて、アメリカ合衆国では異常な政治的なシフトが起こっている。

「スターだとなんでもやらせてくれる。なにをやってもいい」、「プッシーを掴んでやる」という発言を含む映像がニュースに流れ、何千人もの聴衆を前に「私が5番街の大通りの真ん中でだれかを撃ったとしても、票を失うことはないだろう」と堂々と放言したトランプがアメリカの大統領になったのだ。しかも、後にロシアが選挙に介入したことが明らかになったのに、あれほどロシアや社会主義を嫌っていたはずの共和党は問題視すらしていない。そればかりか、アメリカの大統領が懇意にし、何度も尊敬の言葉を口にするのが、ロシアのプーチン大統領と北朝鮮の金正恩なのだ。共和党が聖人のように敬っている亡きロナルド・レーガン元大統領が知ったら、きっと現在のことを「ディストピア」だと思ったことだろう。

共和党議員の中にもトランプに脅威を覚えている者はいるようだが、反論すると干されて針のむしろになるようだ。また、自分の選挙区に住む保守の有権者が圧倒的にトランプを支持しているために、落選を恐れてなにも言うことができない。

口を開けるたびに嘘や創作を口にするトランプに、多くの人は麻痺してしまっており、もう少々の嘘ではなにも感じなくなってきている。「自分がなにを感じても、どうせ社会は変わらない」という無力感も漂っている。その間に、トランプはどんどん国民の権利を奪っており、いつしか、本書でご紹介したマーガレット・アトウッドの『The Handmaid's Tale(侍女の物語)』や『The Testaments(陳述書)』の舞台であるギレアデ共和国になっていきそうな気配だ。ギレアデは、白人至上主義で、徹底した男尊女卑の社会だ。国民は男女とも厳しい規則で縛られ、常に監視されている。この国では環境汚染などで女性の出産率が激減しており、子供が産める女性は貴重な道具として扱われるが、あとは文盲でお飾りの妻か、下働きのお手伝いだ。

「私はヴァギナで投票しない」

2016年の大統領選挙のとき、現場を取材していて驚いたことがある。それは、アメリカの若い女性たちが「女性の人権」をあまりにも軽く捉えていたことだった。とくに急進派のバーニー・サンダースを支援する若い女性たちによるフェミニストやフェミニズムを見下げるような言動には唖然とした。100年前の女性たちが、投獄を覚悟で女性の参政権のために闘ったことや、60年前の女性たちが「性と生殖」について女性自身が決める権利のために闘ったことを、知らないか、忘れてしまっているようだった。

そういった若い女性に対し、1960年代から70年代にかけて女性の人権のために闘ったグローリア・スタイネムなどのフェミニストたちはトランプ大統領が誕生したら女性の権利が危機にさらされると警鐘を鳴らしたが、彼女たちはそれを無視し、そればかりか、「ヒラリーはトランプより危険」という女優のスーザン・サランドンの発言を鵜呑みにした。そして、スタイネムや「女性を応援しない女性には特別な地獄がある」とヒラリーを応援したマデレーン・オルブライト(女性として初めての国務長官)をインターネットで批判した。そして、サランドンが「私はヴァギナで投票しない」とヒラリー・クリントンの支持を否定したときには、その台詞を繰り返す若い女性たちがソーシャルメディアに現れた。

私は、2016年の大統領選挙を長期にわたって現場で取材し、その様子をニューズウィーク日本語版の連載や『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などで報告した。だが、この切迫感が伝わらないもどかしさを感じていた。

そんなとき、レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)の『Call Them by Their True Names: American Crises (and Essays)、(それを、真の名で呼ぶならば――危機の時代と言葉の力)』に出会った。そればかりか、自分で翻訳する機会までいただいた。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ウクライナ和平案、西側首脳が修正要求 トランプ氏は

ワールド

COP30が閉幕、災害対策資金3倍に 脱化石燃料に

ワールド

G20首脳会議が開幕、米国抜きで首脳宣言採択 トラ

ワールド

アングル:富の世襲続くイタリア、低い相続税が「特権
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 5
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 6
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 7
    「裸同然」と批判も...レギンス注意でジム退館処分、…
  • 8
    Spotifyからも削除...「今年の一曲」と大絶賛の楽曲…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story