コラム

輝かしい未来を末期がんで奪われた若き脳外科医の苦悩

2016年02月10日(水)17時00分

 まず、「(治療法による死亡リスクの違いを分析するときに使う)カプランマイヤー曲線について話したい」と求めるKalanithiに対して、Emmaは、「Absolutely not(絶対にしません)」ときっぱり拒否した。Kalanithiは、「医師同士なのに!」と憤慨したが、Emmaはその代わりに「治療法については後で話し合います。職場復帰についても」と話を進める。

 生存がかかっているというのに職場復帰などということを語る主治医にさらに憤ったKalanithiだが、後にEmmaが正しかったことを彼は悟る。

「死ぬ」選択は、「生きる」選択でもある。

【参考記事】カーターの癌は消滅したが、寿命を1年延ばすのに2000万円かかるとしたら?

 Kalanithiは、職場復帰しただけでなく、ぎりぎりまで自分の痛みをこらえながら脳外科医として執刀を続ける。そこには、最後の最後まで、「自分の人生の意義とは何か?」を考え、葛藤し続けたひとりの人間の凄絶な生き方がある。

 彼が執刀する最後の手術の場面を読んだ人は、「末期のがん患者に脳外科医として職場復帰させるアメリカの懐の深さを感じる」と感心するかもしれないし、「私なら、ここまで肉体を酷使せずにできることを探す」と思うかもしれない。

 完治不可能ながんに罹患していることがわかって、自分のもとから去ろうとしていたガールフレンドと結婚し、不妊治療をしてまで子どもを産んだKalanithiの選択を利己的だと思った読者もいるようだ。

 だが、それは彼と彼の妻が当事者として悩み、選んだ人生なのだ。

 Kalanithiが患者として初めて悟ったように、当事者の目の前に広がる風景は、傍観者のそれとはまったく違う。

 私ならどうするのかは、その立場になってみないとわからない。

 だから、私は彼の人生を分析・評価するつもりはまったくない。

 私たちにできることは、「自分に与えられた人生を、自分なりに意義があるものにする」だけだろう。

 それが手遅れになる前に。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

制約的政策、当面維持も インフレ低下確信に時間要=

ビジネス

米鉱工業生産、3月製造業は0.5%上昇 市場予想上

ワールド

米中、軍事対話再開 22年以来初めて

ワールド

中東巡る最近の緊張、イスラエル首相に責任=トルコ大
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人機やミサイルとイスラエルの「アイアンドーム」が乱れ飛んだ中東の夜間映像

  • 2

    大半がクリミアから撤退か...衛星写真が示す、ロシア黒海艦隊「主力不在」の実態

  • 3

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無能の専門家」の面々

  • 4

    韓国の春に思うこと、セウォル号事故から10年

  • 5

    中国もトルコもUAEも......米経済制裁の効果で世界が…

  • 6

    【地図】【戦況解説】ウクライナ防衛の背骨を成し、…

  • 7

    訪中のショルツ独首相が語った「中国車への注文」

  • 8

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 9

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 10

    「アイアンドーム」では足りなかった。イスラエルの…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 3

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...当局が撮影していた、犬の「尋常ではない」様子

  • 4

    ロシアの隣りの強権国家までがロシア離れ、「ウクラ…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    NewJeans、ILLIT、LE SSERAFIM...... K-POPガールズグ…

  • 7

    ドネツク州でロシアが過去最大の「戦車攻撃」を実施…

  • 8

    「もしカップメンだけで生活したら...」生物学者と料…

  • 9

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 10

    猫がニシキヘビに「食べられかけている」悪夢の光景.…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    巨匠コンビによる「戦争観が古すぎる」ドラマ『マス…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story