羽生結弦さんに日中関係は救えない
そもそも50年前、日本が対中関係の正常化に乗り出したのは、アメリカの動きを察知したからにすぎない。ニクソン米大統領は1972年2月に中国を訪問したが、米中の国交正常化が実現したのは1979年1月。対する日本は、1972年9月に田中角栄が首相として初訪中するや、すぐさま正常化にこぎ着けた。
そして50年後の今、式典に首相が顔を見せないほど関係が冷え込んでいるのも、アメリカの対中強硬姿勢が影響している。つまり50年たっても日本は自発的な外交ができておらず、対中関係の改善に向けた強い意思が感じられないのだ。
ただ、田中首相時代に総理大臣秘書官だった御年95歳の木内昭胤氏が式典で披露した裏話には心を打たれた。
当時、田中首相らが北京に乗り込んで行った際、石原慎太郎氏ら自民党内のタカ派保守グループ(後の青嵐会)が空港で待ち構えていて、刺されるかもしれないと警戒したという。
中国側も、周恩来主導で国交正常化に動いていたものの、1960年代に文化大革命を主導した「四人組」が反対していた。田中首相ら訪中団は、本来予定していなかった上海にも赴いたが、それも田中首相と会わせることで反対派を説得しようと考えた周恩来の希望によるものだったらしい。
アメリカの動きに反応した結果とはいえ、国交正常化は当時の関係者の強い意思と覚悟があってこそ実現した。
確かにこの50年、両国の関係は山あり谷ありだが、先人たちの努力を無駄にしないためにも、両国のリーダーには積極的かつ忍耐強い外交を行ってもらいたい。
周 来友
ZHOU LAIYOU
1963年中国浙江省生まれ。87年に来日し、日本で大学院修了。通訳・翻訳の派遣会社を経営する傍ら、ジャーナリスト、タレント、YouTuber(番組名「周来友の人生相談バカ一代」)としても活動。