偽情報、プロパガンダ...シャープパワー対策のため民主主義国は自由をどこまで制限すべきか
中でも焦点となるのは、「言論の自由」に対する米欧間の価値観の違いである。
米国では、合衆国憲法修正第1条に基づき、「何を言ってもよい自由」が手厚く保障され、特に政治的表現に関する規制には極めて慎重な対応が取られている。
一方で、全体主義などの歴史を持つ欧州においては、「言論の自由」といえども一定の責任と規制が必要であるという理解が根強い。
これは単なる「自由か規制か」を巡る対立ではない。
米国では、言論の自由が国家権力による過剰な介入から市民を守る「盾」として機能し、欧州では歴史的経験から言論の自由と社会的責任のバランスが重視されている。
双方の立場には一理があるが、この違いこそ、有志国が連携してシャープパワーに対抗することを困難にしている要因でもある。
特に、米国では最近、冒頭で紹介した国務省における偽情報対策部門の廃止をはじめ、シャープパワー対策を巡る政府レベルの取り組みが縮小傾向にある。
同様の動きは民間企業にも広まり、25年1月にはIT大手のMeta社が、FacebookやInstagramなどでのファクトチェック廃止を発表した。こうした動きは、世界各国で使用されるSNS上の情報空間にも影響を与え、他国のシャープパワー対策に間接的な形でブレーキをかける結果をもたらしかねない。
皮肉にも、自由を尊重する政治文化が、国境を越えた偽情報への対応を困難にし、自由民主主義社会を危機にさらすというパラドックスを生んでいると言えるだろう。