「美しい国」に来て35年...日本にとけ込む努力を続けたイラン人が語る「日本で暮らす外国人」の本音
米軍によるイラン核施設への攻撃後、イラン国内の通信状況は悪化、さらに以前からの水不足、停電により、各地で暑い夏を迎える中、人々の暮らしは窮迫し、不安と不満が高まっているという。
「停戦したとはいえ、まだ緊張状態が続いています。皆が一番嫌に思っているのは、この不安定な状態です」と、連絡を取る現地の知人づてにうかがい知る故郷の様子を語る。
「『判断、決断できない不安』が一番苦しいと言っています。平和になるのか、戦火が広がるのか分からないまま、日々が過ぎていく。未来が描けないんです」
戦争で荒廃したイランから「平和な国」日本へ
「小さい頃から『ジャパン』という名前が好きでした」と親日的なレファヒーさんは、イラン・イラク戦争が終結して間もない1990年末、23歳のときに日本に渡った。祖国は当時戦争で荒廃し、10~20代の若者を中心に街は失業者にあふれていた。
そうした折、イランで経営マネジメントを学んだというレファヒーさんは、「日本の経済成長に興味があった。なにより、日本は平和な国に思えた」と振り返る。戦争中に放映されたNHK連続テレビ小説「おしん」も、日本への憧れを後押しした。おしんはイランでも国民的人気を博し、「放送時間になると、通りから人がいなくなり、みんなテレビに釘付けでした」とレファヒーさんは証言する。