最新記事

中国社会

中国の若者に広まる「喪文化」...やる気のないロシア人男性が大人気になった訳

China’s New “Sang” Culture

2021年6月2日(水)20時29分
ルー・シアオニン(ロンドン大学東洋アフリカ学院講師)
中国で人気者となったイワノフ

イワノフの無気力キャラが中国の若者を引き付けた TENCENT/WETV

<ネガティブなロシア人が中国の若者たちのアイコンに。習近平政権下で広まる「無気力カルチャー」とは>

僕に投票しないで! テレビでそう訴え続けたウラジスラフ・イワノフ(ステージ名リルーシュ)が、ついに夢をかなえた。中国の人気オーディション番組『創造営2021』の最終回で、晴れて落選を決めたからだ。

今年2月、イワノフ(本業は通訳)は軽い気持ちでボーイズバンドのメンバー発掘リアリティー番組に参加した。すぐに後悔したが、降りたら契約違反で罰金を取られる。だからステージに立ち、あらゆる手段で落選キャンペーンを張った。

しかし彼の落胆した表情や中途半端なパフォーマンス、そして「投票しないで」の訴えは逆効果だった。イワノフは決勝まで残り、気が付けば現代の「喪(サン)文化」のアイコンとなっていた。

中国語の「喪」は「意気消沈」や「落胆」の意味。自分を卑下し、競争を嫌い、目標など信じない態度が、中国では数年前から「喪文化」と呼ばれ、若者の間でもてはやされている。

通説によれば、喪の元祖は2016年の「寝そべる葛優(コーユー)」というネット上の流行。人気役者の葛優がだらしなくソファに寝そべる1990年代のコメディー番組の一場面で、誰かが画像に「僕は完全にボロボロ」というコピーを添えた。中国版ツイッターの「ウェイボー」では、時代の憂鬱さをそっくり受け入れた態度と解釈する人もいる。

似たようなところでは、アニメの主人公で自己嫌悪に陥ったアルコール依存症の皮肉屋「ボージャック・ホースマン」やアメリカ漫画『ボーイズ・クラブ』に登場する「カエルのペペ」なども人気だ。

若い世代が喪文化を受け入れるのは、主流の政治的イデオロギーからの静かな逸脱であり、過剰なポジティブさと生産性を求める風潮に対する明白な拒否反応でもある。

ポジティブはつらいよ

習近平(シー・チンピン)が2012年に政権を発足させて以来、中国共産党は「正能量(ポジティブなエネルギー)」を前面に掲げ、政治的に利用している。中国研究者のフランチェスカ・トリッグスによれば「正能量」は市民の社会的責任を極限まで強調する。共産党によるインターネットの検閲を正当化し、イデオロギー的コンセンサスや世論を形成するためにも使われている。

党が広めた「ポジティブなエネルギー」というイデオロギーと並行して、新自由主義的な「たたき上げ」の賛美も広がった。中国の書店には、起業家たちの「自らつかんだサクセスストーリー」本を集めたコーナーがある。そんなポジティブさの押し売りは、激しい競争にもまれてきた世代にはつらい。

苛烈な受験競争、高騰する住宅価格、「996」(午前9時から午後9時まで週6日働くこと)の労働文化、上昇志向の閉塞感など、若者は厳しい現実に直面している。彼らにとって「喪」を受け入れること、つまり人生や自分に対して敗北的な態度を取るのは不確かな未来に備える戦略であり、仲間との絆を深める方法でもある。

中国の若者たちがイワノフの中途半端なパフォーマンスを愛したのは、それが演技ではなく彼の「素のまま」であることを知ればこそだ。

もしもイワノフが喪文化を知っていて、自分のやる気のなさがウケることに気付いていたら、彼はもっと頑張ったかもしれない。

The Conversation

Xiaoning Lu, Reader in Chinese Culture and Language, SOAS, University of London

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

ニューズウィーク日本版 ジョン・レノン暗殺の真実
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年12月16日号(12月9日発売)は「ジョン・レノン暗殺の真実」特集。衝撃の事件から45年、暗殺犯が日本人ジャーナリストに語った「真相」 文・青木冨貴子

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 3
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 4
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 5
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 6
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 9
    「体が資本」を企業文化に──100年企業・尾崎建設が挑…
  • 10
    トランプが日中の「喧嘩」に口を挟まないもっともな…
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 8
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中