不倫政治家、IT社長の恋人......「あの女」たちにイラつく心理
FOUL IS FAIR
前澤氏とかつて交際していた紗栄子さんも嫌われていたが、その最大の原因も羨望だろう。何しろ、彼女はプロ野球のダルビッシュ有投手の前妻だ。元夫がメジャーリーガーで交際相手も大富豪と、同性から見れば羨ましい限りだ。そういう男性から選ばれるだけの美貌の持ち主であることも、羨望をかき立てる。
「きれいは汚い、汚いはきれい」
このように、嫌われるセレブは共通して羨望をかき立てる。私たちが誰かを嫌う場合、根底に羨望が潜んでいるのではないかと自分自身の心の奥底をのぞき見るべきだ。
そうすると、「嫌い」という気持ちのどこかに「好き」という気持ちが入り交じっていることに気付くのではないか。シェークスピアの悲劇『マクベス』の中で3人の魔女が「きれいは汚い、汚いはきれい」とつぶやくが、この台詞に倣えば「好きは嫌い、嫌いは好き」ともいえる。
フロイトも精神分析の経験から、愛がその反対物の憎しみに転換されることがあるのに気付き、「愛と憎しみは、同一の対象に向けられる場合が多い」と述べている。
「そんなはずはない」という反論も多いかもしれない。だが、週刊誌でよく組まれる「好きな〇〇、嫌いな△△」という特集では、「好きな〇〇」と「嫌いな△△」の上位ランキングに入る人物がしばしば重なっている。こういう人物には、「好きは嫌い、嫌いは好き」という言葉どおり、愛と憎しみの両方が向けられる。少なくとも、「好きでも嫌いでもない」と無関心でいられる対象ではない。
もちろん、セレブに対して初めから愛と憎しみのような激しい感情を抱くことはまれだ。むしろ、「あの人のようになりたい」と憧れていたが、逆立ちしたってなれないと思い知らされたり、「あの人はあんなに幸福そうなのに自分は不幸」と感じたりして怒りを覚え、憧憬が嫌悪に転換する場合が多いかもしれない。
ただセレブと呼ばれるほどの人は皆、多かれ少なかれ羨望をかき立てるが、セレブが全員嫌われるわけではない。嫌われるセレブには、もう1つの共通点がある。自分が他人の羨望をかき立てていることに無自覚で、鼻持ちならない印象を与えることだ。
前澤氏は、超高級車や美術品などの富の象徴をソーシャルメディアで発信し、剛力さんがアップした笑顔の写真を撮影したのは自分だと公言した。「俺のものだ」と自慢したいのだろうが、羨望をかき立てていることに無自覚だ。
同様の無自覚さは、紗栄子さんにも、逮捕前の堀江氏にも認められた。ヒラリー・クリントンの他人を小バカにしたような話し方も、山尾氏の開き直った態度も、本人は無自覚なのだろう。だからこそ、よけいに反感を買い、嫌われる。
前澤氏のように「出過ぎた杭は打たれない、ってなるまで出てしまおう」という心意気を持つことは、成功するために必要かもしれない。だが、「出過ぎた杭」は羨望をかき立てることを自覚して、こういう言葉を口にしないほうが、いらぬ摩擦を避けられる。それが、より大きな成功につながるのではないだろうか。
<本誌2018年9月11日号「特集:『嫌われ力』が世界を回す」>
[2018年9月11日号掲載]

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