最新記事

メディア

「ポスト冷戦期」を見届けた後

2017年12月26日(火)16時33分
池内 恵(東京大学先端科学技術研究センター准教授)※アステイオン創刊30周年ベスト論文選より転載

baramee2554-iStock.

<山崎正和(劇作家)、高坂正堯(国際政治学者)、三浦雅士(文芸評論家)、鷲田清一(哲学者)......日本を代表する論者たちは冷戦後の世界と平成日本をどのように見て、どのように論じてきたのか。論壇誌『アステイオン』の創刊30周年を記念して刊行されたベスト論文集『冷戦後の世界と平成』(CCCメディアハウス)収録の書き下ろしエッセイを転載。冷戦末期に創刊された『アステイオン』が今後、メディアと情報の技術の変化の中で果たす役割とは>

『アステイオン』を手に取るようになったのは高校生から大学生にかけての頃だった。一九八〇年代末から九〇年代前半の、ベルリンの壁の崩壊、イラクのクウェート侵攻、湾岸戦争、旧ユーゴスラビアの民族紛争の勃発といった、国際社会で不穏な動きが続く時代に、日々の報道や論評の次元を離れ、文明論の時間軸で議論を展開する『アステイオン』は、数多くの総合誌や論壇誌がひしめき合う中で異彩を放っていた。『アステイオン』が一九八六年に創刊されたばかりの、まだ「若い」雑誌であったということなど、もちろん若い時分には意識することもなかったが、これまでにないことをやろう、という作り手・書き手の勢いは十分に伝わってきた。ベルリンの壁に象徴される東西冷戦構造という、それまでの思考の前提となっていたものが、予想外に短期間の間に崩れ去り、さまざまな「決まり文句」を喪失して言論人たちが茫然自失となる中で、若手・中堅の学者たちがそれぞれの新手の議論を引っさげて論壇に登場して来る際の、登竜門のような雰囲気があった。

今振り返って見れば、『アステイオン』は冷戦末期に創刊され、ポスト冷戦期の秩序を模索する内外の動きを敏感に反映しながら雑誌としての性質を固めていった、とまとめることができるのだろう。そんなことは当時の書き手にも、読み手にも、見当もつかないことであっただろうが。

私の個人のことを言えば、高校生・大学生として、そこはかとなく自らの将来をイメージし、研究の道に進み、同時にある程度広く世の中に向けて知見を発表する場も得たいと、模索を始めていた頃であったため、その当時まさに生じていた国際社会の変動を、事象の底にある思想潮流において把握し、長期的な文明史的視点から捉え直してくれた『アステイオン』の諸論考は、学者として取り組むテーマを絞り込んでいく際にも、発表の仕方を考える際にも、心の中で一つのモデルや指針となっていたように思う。『アステイオン』に発表することを目標に研究をするわけではないが、「副産物」のように『アステイオン』に寄稿できれば、と内心期するところがあった。

しかしそんなことも研究を進めるうちに忘れてしまうぐらいには、研究生活とは転変の激しいものである。私の取り組んでいた中東という地域では、日本の出版事情とは隔絶した、別世界としてものごとが展開していた。それを『アステイオン』の論考に落とし込むような機会は未来永劫訪れそうもないかのように思われた。中東の現地調査の時間の方が日本にいるより長くなり、そこで眼前にするイスラーム思想の展開と、日本で一般に言われる「イスラーム」との間の乖離があまりに激しくなり、日本のメディアや出版物にほとんど目を通さなくなると、『アステイオン』を手に取ることも少なくなってしまった。

九・一一事件やイラク戦争といった様々なきっかけで、中東に関する論考を方々の媒体に書くうちに、『アステイオン』からも声がかかるようになった。そうこうしているうちに、編集委員の一人としてこの雑誌の舵取りを担う立場にまでなってしまっていることには、やや困惑する。それほどの昔とも思えない学生時代に、国際情勢や知的世界への「窓」として、憧れを持って手に取っていた『アステイオン』を、今や自分が作っていかなければならない。それはいくら何でも早すぎないか。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国経済8月は減速、生産・消費が予想下回る 成長目

ワールド

中国は戦時文書を「歪曲」、台湾に圧力と米国在台湾協

ワールド

米中マドリード協議、2日目へ 貿易・TikTok議

ビジネス

米FTCがグーグルとアマゾン調査、検索広告慣行巡り
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 3
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人に共通する特徴とは?
  • 4
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 5
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    【動画あり】火星に古代生命が存在していた!? NAS…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中