最新記事

チベット問題

焼身しか策がないチベット人の悲劇

2017年8月1日(火)12時10分
ケビン・カリコ(マッコーリー大学講師)

中国領事館近くで中国政府の弾圧に抗議するチベット人(08年、ネパール) Gopal Chitrakar-REUTERS

<安定を何より重視する中国が圧政を強めるか、焼身自殺しか抗議手段がない人々がさらに弾圧される悪循環>

5月19日の朝、青海省の海北チベット族自治州で22歳のチベット人僧侶ジャムヤン・ロサルが自らの体に火を付け、亡くなった。2009年以来、中国政府の対チベット政策に抗議して焼身自殺を図ったチベット人は、ロサルで150人目となる。

彼は以前にも、メッセージアプリ「微信(WeChat)」でチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の写真を送ったとして10日間拘束されていた。命を懸けた抗議行動の後、ロサルの遺体は警察に持ち去られた。遺体の家族への引き渡しは拒否されている。

天安門事件が起きた89年以来、中国政府は一貫して「安定は全てを圧倒する(穏定圧倒一切)」を最重要視してきた。その目標は独裁的な統治を正統化すること。つまり上からの政治・文化統制と下からの経済成長を結び付け、「一党独裁国家への大衆からの支持」を理論的に生み出すことだ。

この安定重視策は政治的、文化的、法的、精神的な抵抗勢力となりそうな全てを標的とし、敵(特にチベットにいる者)を「カルト集団」に仕立てあげる。ただその政策自体が、国家によるカルトだとみることもできる。つまり反証や反対を拒み、無条件で受け入れられる全体主義信仰だ。

この狂信が、漢族もチベット族も含めたチベットの人々を、怒りと苦痛の悪循環に封じ込めている。

【参考記事】ダライ・ラマの中印国境訪問で両国間に火花

今や人々は、ロサルと同じような過激な手段に訴えるしかない。5児の母親であるソナム・ツォは昨年、四川省のアバ・チベット族チャン族自治州で焼身自殺。17歳のスンドゥ・クヤブは12年に、甘粛省のラプラン寺で自らに火を放ったが生き延び、中国政府により秘密の場所に拘束され続けている。

自分でガソリンをかぶり、火を付けた最初の僧侶はキルティ僧院のタペイだ。チベットからひそかに持ち出された映像には、彼が炎に包まれてアバの通りを歩く姿が映っている。これを見ると、思わず聞きたくなる。なぜこんなことが起きるのか? これからチベットと中国はどうなるのか?

かつて焼身自殺は、公の場で抗議をする手段として効果的なものだった。ベトナム人仏教僧ティック・クアン・ドックの例を思い出すといい。ベトナム戦争中の63年、当時の南ベトナム政権の仏教徒弾圧に抗議し、大勢の前で焼身自殺をした映像は世界に衝撃を与えた。

しかしチベットでは焼身抗議が8年も続いており、今やほとんど波紋を呼ばない。チベット人は「単純」で「粗野」で、ダライ・ラマという「封建的な奴隷所有者」を崇拝しており、中国の寛大さからどれほど恩恵を受けているのか分かっていない――これが一般的な中国人の見方だ。つまり、焼身自殺をする人は「粗野」で「非理性的」な心をカルト勢力に操られ、だまされていると見なされる。

こうした認識を補強するのが、中国人に集団的記憶として刻まれている01年1月の事件。北京の天安門広場で、法輪功の信者5人が決行した焼身自殺だ。この場面は国営テレビで繰り返し流され、焼身自殺はカルト的行為というイメージが強まった。

チベット人の焼身自殺の場合も、個人的には彼らに共感し、理解を示す中国人もいた。しかし大多数は、簡単にだまされる精神の表れだと考えた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪GDP、第2四半期は前年比+1.8%に加速 約2

ビジネス

午前の日経平均は反落、連休明けの米株安引き継ぐ 円

ワールド

スウェーデンのクラーナ、米IPOで最大12億700

ワールド

西側国家のパレスチナ国家承認、「2国家解決」に道=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 5
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 10
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中