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パナソニック役員の「技術と心をつなげる」本への違和感

2017年4月14日(金)18時36分
印南敦史(作家、書評家)


 私は興に乗って、さらにテクニトーンを弾き続けていた。曲はウェザーリポートの『バードランド』だっただろうか。
 あたりが美しいもので一杯になるような気がした。
 すると、暗がりの向こうからトコトコと近寄ってくる影があった。
「弾いてるね。いいじゃない」
 上司でジャズドラマーの木村陽一だった。
「今度一緒にやろうよ」
 は?
「ジャズだよ。やってみないか?」
 はあ......。
 曾根崎新地に、木村が毎週土曜日に演奏し続けているライブハウスがあった。そこでジャズをやってみないか、という誘いだった。
 プロジェクトを失い、やりがいを喪失していた私は、こうして初めてジャズを人前で演奏することになった。
 演奏メンバーは、ドラムの木村とジャズは遊びでやってきたピアノの私の二人きり。
 あり得ないよ。木村さん。(79~80ページより)

以後、著者は仕事と並行して毎月ライブハウスのステージに立つことになったのだという。

そして、その難しさゆえアメリカにさえ演奏者が少ないという「ハーレム・ストライド奏法」を身につけ、ソロ・リサイタルを開き、2003年には「The Michiko Ogawa Trio」として発売したアルバムが高評価を受けたというのである。その延長線上で、アメリカでの本格的なデビューを打診されたこともあるそうだ。

ちなみに私もそれなりにジャズを聴いてきた人間だし、本稿を書くにあたって著者の作品にも(少しだが)耳を傾けてみた。ここでその感想を書く必要はないだろうが、恥ずかしながらデビューの話を持ってきたというガンナー・ヤコブセンというプロデューサーのことは知らなかった。検索してもわからなかった。ジャズはつくづく奥の深い世界だ。

それはともかく、なにが引っかかるかといえば「ジャズ、やってみないか?」からはじまるこの流れである。まるで女子高校生がジャズをやる映画『スウィングガールズ』のような展開ではないか。

ジャズに対する考え方も人それぞれだから、自分の意見だけを強制する気は毛頭ない。しかし、ジャズ・ピアノに関してはバド・パウエルとキース・ジャレットとダラー・ブランドに感銘を受けてきた身としては、「ジャズって、そんなに簡単にできちゃうものなの?」という思いを消し去ることができないのである。

たとえば上記の3人に共通するのは、精神を病んでしまうのではないかというほどの苦悩を通過してきたであろう点である。音の隙間からそれが伝わってくるから、強く心を打たれるのだ。しかし著者には、その部分が希薄であるように思えてならない。


 このまま仕事を続けるか、結婚して専業主婦になろうか、あるいはピアノに本格的に取り組むほうが良いのか。今から考えると三○歳を過ぎた私は、そんな迷いが表情に出ていたのだろう。帰り道に二人で話していると、梶原が唐突に切り出した。
「小川、中途半端はいかんよ。今の君は全部中途半端に見える。仕事も中途半端やし、ふらっとやり始めたピアノも中途半端」(103ページより)

大学の先輩であり、松下電器のリクルーター責任者である梶原孝生という人物のこの言葉に、すべてが集約されている。軸が定まっていないのだ。重要なのは「どこに重きを置くか」。どれかひとつを本気でやらない限り、さらに奥へは進めないという境地に著者はいたのだろう。

【参考記事】あなたはこの「音に出会った日」のYouTubeを観たか

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