最新記事

BOOKS

あなたはこの「音に出会った日」のYouTubeを観たか

2016年10月12日(水)11時15分
印南敦史(作家、書評家)

<生後16カ月で「全聾」と診断された女性が成長していく過程を描いた手記『音に出会った日』。幼少期の壮絶ないじめ、「アッシャー症候群」の発症、そして、わずか1晩のうちに世界中の人々に感動を与えた1本の動画>

音に出会った日』(ジョー・ミルン著、加藤洋子訳、辰巳出版)は、イングランド北東部ゲイツベッドに生まれ、生後16カ月で「全聾」と診断された著者が、露骨な差別やいじめを筆頭とする苦難と向き合いながら成長していく過程を描いた手記である。

 物心ついた時点で"聞こえない"状態にあった著者の人生が決して楽ではなかったことが、文章の端々からはっきりと感じ取れる。両親や家族からは十分に愛情を注がれており、それが彼女を何度も支えていくので、ある意味においては家族の物語だともいえる。しかしその一方、家族以外の小さな社会を知った時点で、違う世界に追いやられることにもなる。


 あのころ、わたしは補聴器の箱を首からさげているせいで"ロボット"と呼ばれたり、みんなのようにはっきり話せないせいで"麻痺野郎"とまで言われたが、いつも、こんなことでへこたれるな、と自分に言い聞かせていた。(中略)だが、悪口をはねのける強さを持ちつづけることが、七歳のわたしには難しかった。(66ページより)


 オークフィールド小学校に通い出して一年が過ぎ、わたしはますます学校が嫌いになっていた。わたしに気を遣うことに教師たちは順応していたが、生徒たちはそうはいかなかった。いじめは心ないあだ名や、殴ったり蹴ったりの暴力に形を変えていった。(中略)ふつうの女の子なら大目に見られるだろうちょっとしたまちがいでも、わたしの場合はいじめの理由になった。耳の聞こえない子はほかの子とはちがうのだ。聴力という贈り物を受け取らずに生まれたのだから、頭を叩かれたり髪を引き抜かれたりして当然と、彼女たちは思っていたようだ。(68〜69ページより)

 上記の部分だけでなく、何度も出てくるいじめの描写には心の痛みを感じる一方、違和感を意識せずにもいられなかった。もちろん我々の国にもいじめはあるが、少なくとも個人的には、障害を持った子をいじめるようなひどい場面に遭遇したことはなかったからだ。

 それは、私がいじめの現実を一面的にしか知らないからかもしれない。あるいは、国民性の違いなのかもしれない。しかし、いずれにしても本来はあるべきでないことだ。だからこそ、読み進めながら不快感を払拭できなかったのである。

 ただし勇気づけられるのは、著者が決してあきらめなかったことだ。普通の感覚からすれば、ここに描かれているような扱いを受ければ、不登校になったり、うつになったりしたとしても不思議はない。しかし彼女は違った。たとえば中学生時代には、いじめの主犯格に真っ向から立ち向かっていくのである。


 わたしは攻撃をはじめた。彼女を叩き、髪の毛をつかんで引っ張った。指に茶色の髪が絡まって抜けた。それでもやめなかった。引っ掻き、蹴り、突き飛ばし、唾を吐いた。
 彼女も反撃してきたが、顔を叩かれてもなにも感じなかった。噴出されるアドレナリンと積もり積もった屈辱のせいで、わたしの感覚は麻痺していた。
 長年の無力感が怒りに変わり、ふつふつと煮えたぎっていた。全身に漲(みなぎ)る反抗心が恐怖を抑え込んだ。
「これはあんたが"麻痺野郎"って呼んだお返し」わたしは唾を吐きかけ、彼女の脇腹を踏んづけた。(80ページより)

 こうした負けん気の強さも功を奏し、以後の彼女は順調に......とまではいえないにしても成長を続けていく。16歳で初めてナイトクラブへ行ったときの感動の描写などは、まるでふつうの女の子のようだ。耳が聞こえないということを除いては。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

アングル:中国企業、希少木材や高級茶をトークン化 

ワールド

和平望まないなら特別作戦の目標追求、プーチン氏がウ

ワールド

カナダ首相、対ウクライナ25億ドル追加支援発表 ゼ

ワールド

金総書記、プーチン氏に新年メッセージ 朝ロ同盟を称
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌や電池の検査、石油探索、セキュリティゲートなど応用範囲は広大
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 7
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 8
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 9
    【クイズ】世界で最も1人当たりの「ワイン消費量」が…
  • 10
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中