最新記事

BOOKS

パナソニック役員の「技術と心をつなげる」本への違和感

2017年4月14日(金)18時36分
印南敦史(作家、書評家)

Newsweek Japan

<音響ブランド「テクニクス」のファンだったから大きな期待感を持って読んだが、苦悩や葛藤が描かれておらず、心に訴えかけてこない>

音の記憶 技術と心をつなげる』(小川理子著、文藝春秋)の著者は、パナソニック株式会社役員。1986年の松下電器(当時)入社後、自由な研究所として評価を受けていた「音響研究所」に配属され、さまざまな技術開発に携わってきたという人物である。また、同社の音響機器トップブランドである「テクニクス」の復活プロジェクトにも深く関わっている。

音楽業界に関わり、長らくDJもしてきた私は1970年代中期、東京・新宿の小田急ハルク内にあったナショナル(現パナソニック)のショールームを毎週のように訪れていた。当時から、テクニクスは憧れのブランドだった。

とても手が届かなかったリニアフェイズスピーカー「SB-7000」にはいまなお憧れがあるし(中古をヤフオクで落札しようとして負けたことが何度かある)、いまやクラブシーンに不可欠なターンテーブル「SL-1200 MK II」を2台購入したのは、著者が入社したのと同じ1986年のことだった。現在は後継機種の「SL-1200 MK3D」を使用しているが、DJをしたいのであれば、SL-1200シリーズを避けて通ることはできない。

自分のなかにそのようなバックグラウンドがあるからこそ、テクニクス復活劇にも触れているらしいと知った時点で、本書に大きな期待感を持った。ところが読んでみて、とても残念な気持ちになった。端的にいえば、音響研究所やテクニクスの歴史云々以前に、著者の個人史的な側面が非常に強いのである。

「恵まれた時代に恵まれた環境で、恵まれた仕事をしてきた人なんだろうね」というような印象しか残らないのは、仕事の裏側にある悩みや葛藤が、あまり伝わってこないからだ。もちろん「苦悩」についても書かれてはいるのだが、もっと深いところまでえぐって、醜い部分までさらけ出さないと人には伝わらない。自己満足で終わってしまっても不思議はない。

個人的にいちばんしっくりこなかったのは、バブルが崩壊した結果、著者の在籍していた部署が解散になったころの話だ。


 一緒に仕事をしていた所員たちが次々に研究所を去っていった。映像に比べて取り扱う情報量が少ない音の世界では、デジタル化の波は映像に先行していた。そのため、デジタル技術に取り組んだ経験を持つ技術者たちが、映像関連の事業部に異動していった。会社のリソース配分は音から映像へと確実にシフトしていった。(74~75ページより)

たしかにこうした記述からは、当時のオーディオ業界に流れていた空気の重みを感じ取ることができる。そういう意味では間違いなく、著者は暗黒の時代を見てきたのだろう。

【参考記事】「音楽不況」の今、アーティストがむしろ生き残れる理由

だが、この描写の直後に違和感が訪れた。組織が解散して火の消えたような職場で、著者がひとり残って電子ピアノ、テクニトーンを弾いていた場面である。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請1.8万件増の24.1万件、予想

ビジネス

米財務長官、FRBに利下げ求める

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中