最新記事

スキャンダル

ボリショイ・バレエに渦巻く陰謀の恐怖

バレエは危険な商売になってしまった──ボリショイ・バレエには過去にも優雅な舞台を裏切る数々の陰謀があった

2013年2月7日(木)14時38分
アンナ・ネムツォーワ(モスクワ)

芸術監督 顔に硫酸をかけた犯人に心当たりがあると、退院会見で語ったフィーリン(4日) Vselovod Kutznestov-Reuters

 おぞましい事件が芸術の世界を震撼させた。1月17日夜、ロシアの国立ボリショイ・バレエ団の芸術監督セルゲイ・フィーリン(42)は、公演を終えてモスクワ市内の自宅に帰る途中だった。駐車場に車を止めてアパートに向かって歩く彼に、覆面の男が缶を手に近づいてきた。
 
 フィーリンは男に気付かなかったようだ。しかし、アパートの中庭にある監視カメラが恐怖の瞬間を捉えていた。男は缶の中の液体をフィーリンの顔に掛けた。倒れたフィーリンは雪で目を洗おうともがく。缶の中身は硫酸で、頭部と顔に重傷のやけどを負った。

 一命は取り留めたが、顔の傷を修復する整形手術は何カ月もかかる見込みで、失明の恐れもある。舞台の監督が視力を失うことはあまりに破滅的だ。

内部の人間の犯行か?

 事件の背景をめぐり噂が乱れ飛ぶなか、ボリショイ・バレエ団の声明が疑惑に輪を掛けた。広報担当者がイズベスチヤ紙に、内部の人間が関与している疑いがあると語ったのだ。芸術的な嫉妬が絡んでいると思われる事件だが、実は「バレエ団をつぶしたい」人物がいるという。

 事件の1カ月ほど前から、フィーリンは脅迫電話を受けていて、母親は警察に保護を求めるよう勧めたといわれている。だが友人たちによれば、彼はおじけづくタイプではない。

 ボリショイ・バレエ団はこれまでも度々、陰謀と不正の舞台になってきた。所属するダンサーは、幹部のセクハラや極度の心理的重圧を訴えてきた。殺すという脅迫や不気味な匿名電話にまつわる話も少なくない。

「(フィーリン襲撃は)十分に計画された犯罪に違いない」と、元プリマのアナスタシア・ボロチコワは語る。03年に「体重が増え過ぎた」としてボリショイを解雇されたボロチコワは訴訟を起こしたが、すぐに報復が始まった。「ボリショイから脅迫され、名誉を汚された。訴えを取り下げなければ私のパートナーだったダンサーたちを殺すと、ナイフを持った男たちに脅されたこともある」

わいせつ画像ばらまきも

 11年3月には、芸術副監督を務めていたゲンナジー・ヤーニンのわいせつ画像がネット上にばらまかれた。金目当ての恐喝に屈しなかった腹いせともいわれたが、騒動に困惑した団員たちがヤーニンの解任を要求。真偽が確認されないまま、辞任に追い込まれた。

 名門バレエ団は金銭スキャンダルの舞台にもなった。ボリショイ劇場は11年に6年がかりの大規模な改修工事を終えたが、費用は予算の16倍に達し、10億ドル近い税金が投じられた。とてつもない規模の不正や利権が絡んでいたことをうかがわせる。

 フィーリンは、現役時代はボリショイのプリンシパルとして活躍し、難しい役を次々にこなした。90年代半ばには世界屈指の人気ダンサーとなり、数々の賞に輝いた。08年に引退した後は監督に転じ、11年からボリショイの芸術監督を務めている。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中