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アジアタイ新首相を悩ますタクシンの真実
失脚した元首相がタイ北部で根強い人気を保つなか、アピシット新政権は国の分断を修復できるか
前途多難 首相に就任後、国会議事堂内を歩くアピシット(08年12月25日) Sukree Sukplang-Reuters
あいつらは金で動く無学な愚か者。投票なんておこがましい。そう決めつけられたら、ウォラウィット・サエプも黙っちゃいられない。だから今も、2年前の無血クーデターで失脚したタクシン・シナワット元首相を熱烈に支持している。
ウォラウィットはタイ北部の農村育ちで23歳。タクシン率いるタイ愛国党(当時)は、ウォラウィットのような人々の支持を集め、過去2回の選挙に圧勝したのだった。しかし反タクシン派のみるところ、農村部の票は金で買われたものであり、金で動くような愚か者に国会議員を選ぶ資格はない。
だがタイ農村部の人々にとって、タクシンは自分たちに目を向けてくれた初めての首相だ。ウォラウィットの村も以前は貧しく、麻薬に汚染されていた。しかし01年にタクシンが首相になると、村は大きく変わった。麻薬撲滅と農村部の貧困解消が主要な政策目標となったからだ。
おかげでウォラウィットも、奨学金を得てチェンマイ大学に学ぶことができた。「昔は誰も農民を助けてくれなかった」とウォラウィットは言う。だからこそ「タクシンが施してくれたことは忘れない。私たちが暮らせるようにしてくれたタクシンは英雄だ」。
そのタクシンが国外へ逃れてから、4人の首相が登場しては去っていった。そして08年12月15日、5人目のアピシット・ウェチャチワが就任した。
だがアピシット政権の基盤は弱い。タクシン派の国民の力党(解党されたタイ愛国党の後継団体で、08年12月に憲法裁判所で解党命令)を割った一部勢力の協力を得て、かろうじて過半数を確保している状況だ。アピシット率いる民主党は首都バンコク圏と南部には強いが、北部や東北部の貧しい農民層の支持を固めなければ安定政権の維持はむずかしい。
前途は多難だ。農民たちは、現政権の後ろ盾となっている民主市民連合(PAD)が農民を見下していること、そして農民から選挙権を奪おうと画策していることも知っている。もしも現政権がPADの要求をのめば決起も辞さない、と叫ぶ農村部の有力者もいる。
タクシン=汚職の「嘘」
黄色いシャツがトレードマークのPAD支持者は、国王による指名議員を含む「新政治」への移行を求めている。対して赤いシャツの反独裁民主戦線(UDD)は、いざとなれば全国的な抗議行動を起こすと警告している。
反タクシン派から見れば、この逃亡中の大富豪は汚職と職権乱用の象徴であり、王権をそごうとする悪者だ。そして、そんなタクシンを支持するのは卑しい人間ばかりということになる。
だが、そんな単純化は危険だ。北部や東北部で直接取材してみればわかる。タクシン支持派のすべてが金で動いたわけではないし、タクシンの経済政策も票の買収だけが目的だったわけではない。タクシン派が君主制に反対しているわけでもない。タクシンの根強い人気は、その在任期間の甘美な思い出だけによるものではない。むしろ、こうした中傷攻撃への反発がタクシン人気を押し上げている一面もある。
北部農村地帯では、タクシンの汚職疑惑(とそれらに対する有罪判決)は反タクシン派のでっち上げとみなされている。一方、ビデオテープや電話経由でタクシンの肉声を聞けるとなれば、今でも多くの人々が集まる。
01年の総選挙におけるタクシン派の勝利は、地方の民衆の要求や不満に注目したことが決め手だった。タクシン政権は小規模な商売を始めたがっている村人に対し、少額の融資を提供。やせた土地から得られるわずかな収入でやりくりする農民たちの債務を免除し、より多くの人々が通える初等・中等教育機関を設立した。
大衆と痛みを分かち合う
加えて、「30バーツ医療制度」も導入。国民が一度に30バーツ(約80円)を払えば診察を受けられ入院もできる制度で、おかげで多くの貧しい農民が医療の恩恵に浴せるようになった。なにしろ農業は今もタイ経済の屋台骨であり、国民の49%が農業か農業関連産業に従事している。「かつては、病院に行くためだけに土地を売り払う人もいた」と、北部の都市ウドンタニでラジオ局を経営するUDD幹部のクワンチャイ・プリパナは言う。
北部チェンマイ郊外のサンカムペーンで土産物店を営むアオラピン・ティマンも、タクシンの政策に恩恵を受けた一人だ。彼女は母親が政府から受けた融資を元手に、ささやかな屋台の店を始めた。今ではずいぶん収入も増えた。
「(タクシンの前に首相を務めていた民主党の)チュアン・リークパイの時代、私の手元には1万バーツ(約2万6000円)もなかった」と、彼女は言う。「タクシンは貧しい人々を支援する政策を始めた。それが事実。ただ小銭をばらまいていたわけではない」
現首相のアピシットは、チュアンの後を継いで民主党の党首となった。当然、北部の人々が民主党にもつ反感も受け継いでいる。イギリスで教育を受けた44歳のエリートで、少なくとも見た目は新鮮だ。しかし民主党が同国で最も古く、中道右派で財界寄り、軍部寄りである事実は変わらない。
多くのタイ人の目に、アピシットは過去数十年にわたってこの国を動かしてきた特権階級の代表と映る。政治と経済を支配してきた都会の新興財閥の復権をめざす動きの象徴でもある。
お堅いインテリと敬遠されることもあるが、アピシットはテレビ映りがよく、頭脳明晰で洗練された人物だ。タイの混沌とした政治や古参の政治家たち、クーデターを起こしては国政をマヒさせる軍幹部などにうんざりしたインテリ層には受けるだろう。
だがアピシットは、タクシンにある親しみやすさを持ち合わせていない。タクシン自身は大金持ちだったが、それでも大衆の痛みを分かち合える人間と思わせる何かがあった。
タクシンはまた、ライバル政治家を抱き込む術にもたけていた。一方のアピシットは、かつてタクシンの腹心だったネウィン・チットチョープとその一派を抱き込んで連立政権を樹立したが、その裏工作には批判が上がっている。
東北部で数百億バーツをばらまけば、みんなタクシンのことなど忘れてしまう。ネウィンがアピシットにそう語ったと伝えられたことも、火に油を注いだ。
「カネで民衆の支持が買えるのなら、(ビール王の)ジャルーン・シリワタナバクディーを連れてくればいい」と言ったのは、チェンマイでホテルを経営するペチャワット・ワタナポンシリグル。「あの男が北部の人に1万バーツずつ配っても、選挙には勝てまい」
ペチャワットのホテルの近くでも、先ごろPADと民主党を非難する集会が開かれ、赤シャツのUDD支持者が多数集まったという。「私たちだって人間だ。(餌をくれる相手なら誰にでもしっぽを振る)犬とは違う」
農村と都会の深刻な対立
北部の人も国王をあがめている。だから「反王政」と決めつけるPADの作戦には猛反発している。この国では、国王への忠誠は絶対だ。本誌の取材でも、あらゆる人が「国王を愛する」と答えていた。首都バンコクの二つの主要な空港をPADが占拠したとき、プミポン国王が介入しなかったことでも、国王への不満は聞かれない。
この国では、黄色は国王の色だ。その黄色のシャツをPADが着ていることも、農民たちは許せない。「PADは国民を分断しようとしている」と非難するのは、土産物店を経営するアオラピンだ。
すでにアピシットの民主党は、PADと結託しているとみなされている。これでは北部と東北部の民衆の不満を抑えきれない。
タクシンが導入した政策の多くを以降の政権が撤廃していると地方の有権者は非難しているため、タクシン流の政策を再導入することは、地方の支持を取りつけるうえで賢明な手かもしれない。一方、アピシットには地方の貧困層から選挙権を剥奪する憲法改正に着手する意図はないようだ。ほぼ確実に国を不安定にするからだ。
00年の大統領選後のアメリカのように分断された国を、アピシットは取り仕切らなければならない。加えて、新首相にはいくつものレッテルが張られている──タクシン派に厳しいという姿勢から得をした人物、PADのように民主主義を制限することに夢中なグループに共感している人物、軍部お気に入りの人物......。
活気があったタイ経済は、今や世界的な経済崩壊の荒波にさらされている。国内情勢は混乱し、長きにわたって安定をもたらしてきた国王も老齢だ。
都会の上中流層は地方の貧困層と対立し、バンコクと南部は連携して北部・東北部と対峙。タクシンからすべてを奪おうとする者と、タクシンを重要な立場に復帰させたいと願う者が戦っている。
現在、赤シャツと黄シャツは情勢を見ながら戦略を練っている。UDD幹部のクワンチャイは「私たちはバンコクには行かない。今すぐ何かをすれば、UDDは愚かで攻撃的だと思われるだろう」と言う。一方、二つの空港と国会議事堂を占拠したPADがどんな制裁を受けるか、国民は注視している。占拠による損害額は1500億ドルと見積もられている。
タイ愛国党の元指導者チャトゥロン・チャイセーンは「PADの目標は、タイを少数の『選良』によって運営される国にすることだ」と指摘。UDDがそういった体制づくりを見過ごすことはない、と警告している。
最近のタイの混迷ははなはだしい。インド独立の父ガンジー風の座り込みが穏やかなものに思えてしまうほどのさらなる大混乱を、どうやって阻止するか──新首相に課せられた課題は大きい。
[2009年1月14日号掲載]