アクの強さと芸術性...鬼才ウェス・アンダーソンが魅せる『フレンチ・ディスパッチ』
Wes Anderson’s Licorice
このシーンがサイレントのコメディー映画顔負けのドタバタ喜劇に終わってからが、いよいよ本作のメイン――3本の長い記事がそれぞれ短編映画になっている。
1本目は、ティルダ・スウィントン扮するアート評論家による記事。殺人罪で刑に服している画家(ベニチオ・デル・トロ)が彼のヌードモデルを務める看守(レア・セドゥ)と恋仲になり、美術商(エイドリアン・ブロディ)は才能はあるが精神不安定な画家を釈放させようとする。
2本目では、68年のパリの学生運動を取材する記者(フランシス・マクドーマンド)が、学生運動のリーダー格の青年(ティモシー・シャラメ)と恋に落ちる。3本目ではフードライター(ジェフリー・ライト)が、伝説的シェフ(スティーブン・パーク)の取材中に警察署長(マチュー・アマルリック)の幼い息子の誘拐に巻き込まれる。
ニューヨーカー誌の歴史を意識した設定だと、同誌の「通」ならぴんとくるはず。作家メイビス・ギャラントは68年の学生デモを、バリケードの中からリポート。ジェームズ・ボールドウィンはライト扮するライター同様、同性愛者で黒人の著述家。祖国アメリカを離れてパリで暮らす作家のコミュニティーに、初めて自分の居場所を見つける。
重いテーマを軽いノリで
3本とも、重くなりかねないテーマを扱っている。投獄と精神疾患。社会不安と損なわれたジャーナリズムの誠実さ。人種差別、同性愛嫌悪、組織犯罪。だがアンダーソンのタッチは、時に腹立たしいほど軽い。政界や社会の複雑さをギャグやエピソードのネタにする。ある主要人物の悲劇が、本作では貴重な、感情がむき出しになる瞬間だ。
以上3本とその枠組みに何か一貫したものがあるとすれば、それは活字の力への愛と共同で創作する喜びだろう。本作はいわゆる「ミザナビーム(入れ子構造)」、すなわちミニチュアで再現した自己言及的なアート作品だ。映画も雑誌と同様こだわり抜いて、果てしない努力とそれに見合わない成果とをわざと滑稽に際立たせる。
こんな取るに足りない話に、アンダーソンは持てる限りの映画の手法をつぎ込む。画面分割、カラー/モノクロ、あるいは画面の縦横比の変化、横移動と凝ったセット、漫画のタンタンシリーズ風のアニメ。このディテールへの凝りようは本作の見どころだが、同時に閉塞感も生む。
それでも、エンドロールで架空の雑誌の歴代の表紙が映し出された途端、もう一度見たくなる。ドールハウス並みに完璧な枠組みの隅々まで吟味するためだけにだ。