『ドライブ・マイ・カー 』がアメリカの映画賞を総なめしているワケ
『ドライブ・マイ・カー 』の快進撃が止まらない...... ([c] 2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会)
<数多の賞を制覇してきた濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー 』。2ヶ月後のアカデミー賞も、国際長編映画部門は当然のこと、作品部門の候補10本の中に入ると筆者は見ている...... >
『ドライブ・マイ・カー 』の快進撃が止まらない。昨年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞した濱口竜介監督によるこの映画は、ハリウッドでのアワードシーズンが本格化して以来、数多の賞を制覇してきた。ニューヨーク映画批評家サークルとロサンゼルス映画批評家協会からは、外国語映画部門ではなく、作品部門を獲得するという快挙まで成し遂げてみせている。さらに、その後に発表された全米批評家協会賞では、作品、監督、脚本、主演俳優の4部門を制覇したのだから、すごいことだ。
このまま行けば、肝心のアカデミー賞も、国際長編映画部門は当然のこと、作品部門の候補10本の中に入ると筆者は見ている。事実、1月14日段階での「The Hollywood Reporter」のオスカー予測でも、今作は作品部門のフロントランナー10本に食い込んでいる。
アメリカの「映画業界人」の心に響いている
このような快挙が続く中で、「フランスはともかく、アメリカでこんなにうけるとは思わなかった」という声を、日本の人から聞くようになった。ひとつ指摘しておくべきことは、この映画はアメリカ全土でうけているというより、アメリカの「映画業界人」にうけているということだ。つまり、映画の作り手の心に響いているのである。
事実、上映時間3時間のこの作品には、彼らを揺さぶる要素がいくつもある。まず、今作の主人公は、役者で演出家だ。そもそも、ハリウッドは、昔から今に至るまで、自分たちの世界を描く"業界もの"が好きで、これも広い意味でそのひとつと言える。そして今作では演技へのアプローチが描かれる。主人公は、セリフを完璧すぎるほど覚え込むまで、そこに感情を入れることをしないのだ。彼が雇った俳優たちがテーブルを囲んで脚本を読むシーンでも、彼はそれを徹底させている。
また、映画の初めのほうでは、彼の妻がセックスからインスピレーションを得てお話を語り始める情景が出てくる。さらに、彼はもう自分で演じることをしないと決めていたのだが、あらゆることを乗り越えた後、再び自分で舞台に立つことになる。
演技とは何なのか。どう挑むべきものなのか。クリエイティビティはどこから来るのか。さらに、作り手個人とその人が作る作品は、お互いにどのような影響を与え合うのか。そういったことが、じっくり時間をかける中で、静かに語られていくのだ。
「時間をかける」ことの意味
この「時間をかける」ということも、ポイントだ。もし、この話をアメリカで映画にしようとしたなら、3時間もかけることは、あり得ないだろう。最近では、スーパーヒーロー映画にも2時間半かそれ以上のものが増えてきたし、現在上映中の『ハウス・オブ・グッチ』も2時間40分ほどあるが、それは大人気シリーズだったり、大物スターがたくさん出ていたりするから許されること。有名スターが出ているわけでもないこの話ならば、おそらく1時間40分、あるいは1時間半程度でまとめられるはずだ。