最新記事
文学

白人男性作家に残された2つの道──MeToo時代の文壇とメディアと「私小説」

2021年10月14日(木)16時20分
野崎 歓(放送大学教授、東京大学名誉教授)※アステイオン94より転載

マツネフ事件はごく一例にすぎない。白人男性中心主義への批判は連鎖的に広がり続けている。人気作家パスカル・ブリュクネルは、エッセイ『ほとんど完璧な有罪者――白い贖罪山羊の作られ方』(2020年)で、「白人男性になお許された唯一のアイデンティティは痛悔のアイデンティティのみだ」と嘆き、「白人男性差別」の行き過ぎを訴えているが、防戦一方の印象は否めない。

そこで改めて、いまフランスの白人男性作家にはいかなる道がありうるのかを考えてみたい。大きく2つの可能性があるだろう。1つは、そうした社会の動きから完全に切り離された(かのような)虚構の世界に遊ぶという方向。もう1つは、まさしくアイデンティティの危機に苦しみ、人生の方向を見失ったおのれの姿を真摯に綴るというやり方。ここでは後者の興味深い例としてエマニュエル・カレールの『ヨガ』(2020年、未訳)を取り上げたい。


 エマニュエル・カレール
『ヨガ』
 Yoga
 by Emmanuel Carrère
(P.O.L., 2020)

カレールは1957年生まれ。彼の母親はいまだ数少ない女性アカデミー・フランセーズ会員の一人である、高名な歴史学者エレーヌ・カレール・ダンコース。教養豊かな一家に育ったカレールは、作家としてすでに大きな成功を収めているが、その作品の核心にはつねに存在の不安があり、生きることの困難がある。

前作『王国』(2014年)では、かつては熱心なキリスト教信徒だった自分が信仰を失った経緯を綴って大きな反響を引き起こした。同時にカレールは、自らの経験に対比させて、古代、パウロやルカがキリストに導かれていったさまを想像裡に描き出した。そこには何かを信ずることへのノスタルジアと憧れも色濃く滲んでいた。この力作長編から6年のブランクを経て、現代を生きる者としての苦しみをさらに赤裸々に描いた作品が『ヨガ』である。

表題どおり、まずカレール自身のヨガ体験が語られていく。いかにも、生きづらい白人中年男が安易な救いを求めて「ニューエイジ」的な方向に舵を切ったかに思える。だがカレールは30年来ヨガを学び、幾度かの抑鬱神経症的な危機を乗り越えるうえで、ヨガの効用を実感していた。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中