最新記事

映画

『シングルマン』とT・フォードの世界

人生の孤独、喪失感、愛……自らの経験を脚本に盛り込みつつ、美しき物語を完成させたトム・フォードに聞く

2010年10月1日(金)12時20分
大橋 希

ささやかな日々 初監督作品にはフォード自身の内面や経験が投影されている ©2009 Fade to Black Productions, Inc. All Rights Reserved.

 94年から04年までグッチのクリエーティブ・ディレクターを務め、05年には自身の名前を冠したブランドを立ち上げたファッション界のカリスマ、トム・フォード。初監督作『シングルマン』では孤独と喪失感をテーマに、自ら命を絶つと決めた大学教授(コリン・ファース)の1日を見事な映像美で描き出した(10月2日に日本公開)。

――トム・フォードが映画を撮るとなれば嫌でも注目が集まる。うまくいかなかったら、というプレッシャーは?

 私はこの映画を信じ、とてつもない愛情と情熱を注ぎ、自分自身の姿も投影させた。いかなる妥協もせずに作ったこの作品を誇りに思う。だから、まったく注目されなければ落胆しただろう。自分の社会的地位や名声なんかとは関係なしにね。

――監督という初めての仕事は楽しめたか。

 私にはチャレンジしてみたいことがいつもある。新しいことを始める時のわくわく感がたまらないからかな。

 映画には、永遠に残るものとしての力があると思う。映画製作は今まで全く経験したことのないものだったが、まさに純粋な表現の世界だ。

 映画を撮ることはビジネスではなく、非常にパーソナルな経験だった。これほどまでに、自分の思いを表現したいと思ったことはなかったね。

――コリン・ファースの抜擢は?

 私にとっての第一選択肢が彼だった。彼は顔も動かさず、一言も発せず、その目で思いを伝えることができる。信じられないほどの才能だ。

――ジョージは日常のささやかな瞬間に心を動かされ、生きることの意味を取り戻していく。あなたが日々の生活で大切にしていることは?

 つまらなかったり、退屈だったり、単なる繰り返しのように思えても、日々の小さな出来事が長い人生で大きな意味を持つ。

 未来ばかりを気にして生きるのではなく今を生きること、周りの人々とのつながりを感じることが大切だと思う。それから、自分の心の声を聞くことだ。

――音楽がとても印象的だったが、どのようにセレクトしていったのか。

 ジョージの頭の中を映し出す音楽は何か、とずっと考えていた。60年代初頭の音楽ということを意識したが、クラシックに限定したくはなかった。ただ、作品に上品な雰囲気を残したかったので、クラシックのオーケストラを使うことにした。

 (音楽を担当した)梅林茂は私のお気に入りの映画音楽家の1人なんだ。大好きなウォン・カーウェイ監督の『花様年華』で使われた梅林の音楽は、とても素晴らしかった。

――あなた自身もミドルエージ・クライシス(中年の危機)を経験したそうだが、どのようにそれを乗り越えたのか。

 私はもともとスピリチュアルな人間で、内なる声や直感に従って人生を歩んできた。なのに幸運や物質的豊かさに恵まれる一方で、そうした精神的な部分をないがしろにして来たことにある日、気付いた。人生で何が一番大切なのかを気付くことでしか、危機は乗り越えられなかったと思う。

――人生最後の瞬間を考えたことはあるか。

 死を恐れはしないが、それ以外の恐怖も思い浮かばない。ただ、その恐怖によって何かを思い止まるようなことはない。

――次回作の予定は?

 ファッションと映画の仕事を同時に行うにはたくさんのことをこなさなくてはならず、本当に大変だった。ただ製作会社も作ったから、2、3年に一度は作品を撮りたいと思う。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、円は日銀の見通し引き下げ受

ビジネス

アップル、1─3月業績は予想上回る iPhoneに

ビジネス

アマゾン第1四半期、クラウド事業の売上高伸びが予想

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任し国連大使に指
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中