最新記事

話題作

戦争映画『ハート・ロッカー』の幻想

この作品が描くイラク戦争には葛藤も罪悪感もない

2010年3月9日(火)13時36分
セス・コルター・ウォルズ(ジャーナリスト)

スリル満点 イラク戦争を感動的に描いた傑作とされる『ハート・ロッカー』だが © 2008 Hurt Locker, LLC. All Rights Reserved.

 ハリウッドがアカデミー賞を選ぶ際の思惑について、文句を言っても始まらない。今どきの映画ファンなら、業界内に政治的な駆け引きがあることぐらい百も承知だ。

 賞レースの季節になると81年を思い出す。あの年の作品賞に輝いたのはマーティン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』でも、デービッド・リンチ監督の『エレファント・マン』でもなく、「優等生」ロバート・レッドフォードの『普通の人々』だった。アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーを誰かが訴えるとしたら、原告側の最終弁論はこの事実を挙げるだけで十分だろう。

 だから皮肉屋の映画ファンは、どれほど心外な結果が出ても心の中で怒るだけだ。しかし今年の賞レースにはイラク戦争の描き方という、単なる好みの違いを超えた問題が浮上した。これには声を大にして文句を言っていい。

 問題の元凶はキャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』(日本公開は3月6日)。04年のイラクが舞台の戦場ドラマで、作品賞にノミネートされるのは確実とみられている。

 爆発物処理班の2等軍曹ウィリアム・ジェームズ(ジェレミー・レナー)は、無謀とも思える大胆さで爆発物を解体していく。仲間にも家族にも武骨な態度しか取れないその生き方は、まるで昔かたぎのカウボーイ。感情を殺し使命感に導かれて突き進む一匹狼のジェームズにとっては、生きるか死ぬかの一瞬に身をささげることだけが人生のすべてだ。

 息をのむ爆弾処理シーンの連続はスリル満点。『ハート・ロッカー』は万人が共感できる傑作と絶賛された。この作品は、ストイックな西部劇を今どきの編集手法で脚色したハイブリッド映画だ。

 作品に政治的なメッセージを込めたつもりはないと、ビグローは語っている。だが観客はどうしてもイラク戦争について考え、そこにあるはずのないメッセージを深読みしようとする。

 戦争支持派は、何度も危機を乗り越える主人公の頼もしい姿に感動するだろう。反戦派は、ジェームズが軽率に基地を離れる場面にアメリカの帝国主義的傲慢と混乱を感じ取るだろう。その気になって見れば、どちらの解釈も可能だ。

 そもそも『ハート・ロッカー』には、複合的で重層的な戦いに引き裂かれたイラクという国を具体的な形で理解しようとした痕跡がまったくない。爆弾の種類と標識の言語を変え、砂漠をジャングルに置き換えればベトナム戦争の映画と言っても通用しそうだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

金正恩氏が列車で北京へ出発、3日に式典出席 韓国メ

ワールド

欧州委員長搭乗機でGPS使えず、ロシアの電波妨害か

ワールド

ガザ市で一段と戦車進める、イスラエル軍 空爆や砲撃

ワールド

ウクライナ元国会議長殺害、ロシアが関与と警察長官 
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 2
    世界でも珍しい「日本の水泳授業」、消滅の危機にあるがなくさないでほしい
  • 3
    映画『K-POPガールズ! デーモン・ハンターズ』が世界的ヒット その背景にあるものは?
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 6
    BAT新型加熱式たばこ「glo Hilo」シリーズ全国展開へ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    就寝中に体の上を這い回る「危険生物」に気付いた女…
  • 9
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 10
    シャーロット王女とルイ王子の「きょうだい愛」の瞬…
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 3
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 4
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 8
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 9
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中