たった13坪で1300冊を売る町の書店──元シンクロ日本代表と恩師・井村雅代コーチの物語

2025年6月13日(金)15時21分
川内 イオ (フリーライター) *PRESIDENT Onlineからの転載

1500人の趣向を把握する書店員

「対面での選書」が広がるターニングポイントになったのは、ディアゴスティーニが展開する「パートワーク」。ひとつのテーマを数冊に分けて紹介する冊子で、当時は毎週発売されていた。隆祥館書店には50人ほどの予約客がいて、毎週受け取りに来る。顔なじみになったお客さんに声をかけると、そこには売り上げを伸ばすヒントが溢れていた。

「野鳥のパートワークだとしたら、もちろん鳥の話もしてくれはるんですけど、僕はカメラが好きやねんとかね、ほかの話をしてくれはったりするんですよ。それから、このお客さんはなにが好きなんかなって興味を持つようになって、どんどん、お客さんの趣味、趣向に合った本を勧めるようになりました」


お客さんのリアクションに確かな手ごたえを感じた二村さんは、書棚を眺めているお客さんにも「なにかお探しですか?」と自ら声をかける積極的なスタイルに。

お客さんの顔と仕事、趣味、本の好みなど、二村さんの脳内データは日々更新され、気づけば「1500人の趣向を把握する書店員」としてメディアに報じられる存在になった。ほかの書店と比べて距離が圧倒的に近い接客によって顧客も増え、当時、坪数の割合では大阪で一番の売り上げを記録する。

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店内に提示されている紙面。「1500人の趣向を把握する書店員」と報じられた 筆者撮影

「作家と読者の集い」がスタート

それでも、来客数の減少は止まらない。店長に就いてからおよそ10年後の2011年、1日の平均来客数は190人になっていた。アメリカではアマゾンの電子書籍「キンドル」が脚光を浴び、日本上陸も間近と報じられ、「黒船来襲」に二村さんも「地に足が着かないぐらい」不安に感じていたという。

その頃、たまたまテレビを見ていたら、大好きな松任谷由美さんが出ていた。ユーミンはその番組で次のようなことを言っていた。「CDが売れない。けれども、コンサートには沢山の方々がお越し下さる。みんな体験したいんだ、だから体験型のコンサートを増やしている。貨幣価値ではなく、精神的価値を高めることを追及する」。

二村さんは、その言葉に鳥肌が立った。そして、電撃的に閃いた。

書店も書き手を招いて、本に書き切れなかったことを話してもらったり、作家と読者をつなぐことはできないのか? 体験型の集いで、精神的価値を高めることはできないのか?

このアイデアをもとに始めたのが、「作家と読者の集い」。2011年の夏、「8月15日終戦 今、私達が読むべき本」として店頭でフェアをして推薦した本を読んだお客さんから、「作者の話を聞いてみたい」と言われたことがきっかけだった。10月に開催した初回が想像以上に好感触だったことから、二村さんは「作家と読者の集い」をシリーズ化する。

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作家と読者の集いは、現在300回を超える 筆者撮影

2回目は、2012年1月21日。ゲストは藤岡陽子さん。そう、冒頭で紹介した『満天のゴール』の作者だ。2023年にNHKでドラマ化されたこの小説をはじめ、藤岡さんはこれまで複数の作品が映画化、ドラマ化されている売れっ子ながら、2012年の時点ではまだそこまで名前を知られる存在ではなかった。

初回と違い、二村さんがデビュー作の『いつまでも白い羽根』に惚れ込み、新作の発売時期に合わせて企画したのだ。この回が、二村さんの「マグマ」の源泉となる。

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