最新記事

増殖する「学位製造工場」

巨象インドの素顔

世界最大の民主主義国家
インドが抱える10億人の真実

2009.06.19

ニューストピックス

増殖する「学位製造工場」

質も量も足りない危機的な高等教育──改革で劣悪大学を駆逐できるか

2009年6月19日(金)16時11分
ジェーソン・オーバードーフ(ニューデリー支局)

 新学期を前にした7月。デリー大学の広々としたキャンパスでは、興奮と同じくらい不安がありありと見て取れた。数週間前から受験生は各学部を駆けずり回り、入学許可者の名簿に自分の名前を探していた。

 インドではかつてないほど、大学卒業後により良い人生のチャンスが待っている。しかし、やはりかつてないほど、国内の大学への入学はむずかしくなっている。そして幸運にも名簿に名前を見つけた学生たちにとって、困難は始まったばかりだ。

 経済も雇用市場も活気づいているインドだが、大学システムは長年にわたり苦しんできた。それが今や完全な危機に。高等教育機関の定員は大学進学年齢の約7%分(アジアの平均の半分)しかなく、しかも破滅的な教員不足に直面している。当局の最近の報告書によると、全国の教職の25%が空席で、教員の57%は修士号も博士号ももっていない。

 カリキュラムは時代遅れで、そのため企業は数百万ドルを費やして大卒採用者に「補習」をさせなければならない。トップレベルの大学でもインフラが崩壊しつつあり、かつては最先端だった名門のインド工科学院の研究施設さえ今では廃れている。

 さらに、無能の(腐敗した、という指摘も多い)規制当局は営利目的の大学を増殖させるばかり。一方で、この可能性を秘めた教育市場になんとか参入したい外国の名門大学を阻み続けている。

 もっとも、一筋の光明も見える。この数十年で初めて、国の指導者がようやく問題の重大さを認識しているのだ。マンモハン・シン首相は、インドの大学制度は「機能不全」だと指摘。ジャワハルラル・ネール初代首相以来の大胆な教育改革に乗り出している。

 しかしシンは、手に負えない官僚制度とイデオロギー上の対立の渦中で身動きが取れていない。結局は高等教育制度の規模を大幅に拡大するだけで、根底にある問題の多くには取り組めないままかもしれない。

 デリー大学の経済学者だったシンは、5年間で72の高等教育機関を新設すると発表した。そのうちインド工科学院が8校、インド管理研究学院が7校、インド科学教育研究学院が5校、インド情報技術学院が20校の分校をそれぞれ新設する。その資金として07年から5年間で、高等教育に関する政府の予算を9倍の年間200億ドルに増やす計画だ。

新卒の9割が就職できず

 ただしこれらの改革も、質の危機に関係なく、量の問題に対処するだけで終わるかもしれない。すでにインドでは、技術系大学の年間卒業生40万人のうち最大75%が、また総合大学の年間卒業生250万人のうち90%が職を見つけられずにいる。全国ソフトウエア・サービス業協会(NASSCOM)によると、理由は雇用不足ではない――能力不足だ。


 「独立後の長い時代、われわれは雇用問題の解決に努めてきた」と、インド産業連盟教育委員会のビジェイ・タダニ委員長は言う。「最近は雇用適性の問題を解決しようとしている」

 政府が財布のひもを緩めれば、インフラ改善が進んで学生も入学しやすくなるだろう。しかし、教員不足を解決して時代遅れの教育内容を刷新し、革新を進め、金儲け優先で学位を簡単に与える「学位工場」を厳しく取り締まるには、それ以上の資金が必要だ。学校数の性急な増加は、こうした問題を悪くしかねない。

 とはいえ、シン首相も大学の質の危機に取り組もうと努力してきた。05年には大学改革の諮問機関として、学者や専門家、企業重役を集めたドリームチームの国家知識委員会を設立。今年10月までにインドの教育インフラ全体の再設計図を描くように求めた。

 委員会は07年1月、「拡充、卓越、包括」に重点を置いた総合的な提言を発表。国立大学制度の拡充だけでなく、民間部門や慈善基金、産業界との結びつきなどを含む資金源の多様化を求めた。

 さらに、カリキュラムの頻繁な改定、標準化された大学全体の試験制度から教授による個人評価への移行、独立した監督機関の設置も提唱した。国家知識委員会の委員長を務めるサム・ピトロダは、企業の経営者として全国の通信ネットワークを構築した経験があり、インドの官僚制度という障害も承知している。

 新しい大学を建設したり、割当制度を拡充して学生の多様化を進めて包括性を高めることにシン政権は巨額の予算をあててきた。しかし、監督機関という根本の問題については何もできずにきた。

 その遅れが悲惨な結果を招きかねない。現在インドの高等教育の監督機関は16を下らず、そのうち独立しているのは数えるほど。有効性に関してはすべての機関に疑問符がつく。カリキュラムや評価手法を近代化する試みも、これまで官僚制度の惰性が主な原因で阻まれてきた。

政権の改革意欲は高いが

 監督のやり方にも問題がある。質の悪い利益主義の大学が氾濫する一方で、世界に名だたる大学はインド国内に分校を開くことを認められず、共同プログラムの承認を得ようと苦労している。

 たとえば、インド全国技術教育審議会は標準以下のレベルの私立の技術系カレッジを大量に承認しているが、その多くは利益目当ての政治家が設立したものだ。しかし米コンサルティング会社マッキンゼーの元幹部ラジャト・グプタが私立大学として01年に開校させたインド商科大学院は、いまだに承認されていない。

 国会レベルの政治論争も、外国の大学の分校を承認する法規制の成立を妨害している。コーネル大学、コロンビア大学、スタンフォード大学の3校がインド当局の説得のために幹部職員を派遣しているにもかかわらずだ。

 改革の意志は、少なくともトップレベルでは今なお強い。しかしシン政権は、具体的な成果をあまりあげられずにいる。国家知識委員会のピトロダは今年1月に発表した2回目の提言の序文で、次のように警告している。

 「新しい発想や実験......外部からの監督や介入、透明性、説明責任に対し、縄張り意識のある硬直した組織構造のせいで、政府のさまざまなレベルでいまだに抵抗がある」。こうした障害を乗り越えることができなければ、「資源を増やしたところで、結果は同じようなものだ」。

 インドは改革の名の下にかなりの大金をドブに捨てて、この国と学生にふさわしくない粗悪なものをつくりかねない。

[2008年10月22日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英CPI、10月3.6%に鈍化 12月利下げ観測

ビジネス

インドネシア中銀、2会合連続金利据え置き ルピア安

ワールド

政府・日銀、高い緊張感もち「市場注視」 丁寧な対話

ビジネス

オランダ政府、ネクスペリアへの管理措置を停止 対中
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影風景がSNSで話題に、「再現度が高すぎる」とファン興奮
  • 4
    マイケル・J・フォックスが新著で初めて語る、40年目…
  • 5
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 6
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「これは侮辱だ」ディズニー、生成AI使用の「衝撃宣…
  • 9
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 10
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 6
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中