コラム

モスクワに残っていた、ほとんど最後のアメリカ人のロシア脱出記

2022年03月30日(水)18時00分

傷心の離陸(モスクワのシェレメチェボ国際空港、イメージ) REUTERS/Stringer/File Photo

<ウクライナ侵攻前にロシアの友人から送られた「メッセージ」に胸騒ぎを覚えた>

昨年の妻への誕生日プレゼントは、ロシアの国内旅行だった。行き先に決めたのは、ダゲスタン共和国。そこはアメリカ政府からはっきりと「渡航するなかれ」との御触れが出ている地域だった。アメリカ市民にとってはテロや誘拐などの不安要素が多いからだ。

私が客員教授を務めるロシアの大学の総長に旅行のことを伝えると、彼は渡航中止を求めつつも、ダゲスタンの知事に連絡を取り、私たちが安全に旅行ができるよう取り計らってくれた。その旅行は妻への誕生日プレゼントだけではなく、生後1カ月の娘にとって初めての旅行でもあったからだ。

こうしたことから、在ロシア米大使館は昨年の年末年始から定期的に私に注意喚起を行っていた。アメリカ人を標的にした意図的な逮捕や、折から始まっていたロシア軍の不気味な動きを懸念していたからだ。それでも私は聞く耳を持たず、モスクワに残る最後のアメリカ人の1人で居続けていた。

私は旅行に関して不思議な予知能力を持っていると、ロシア出身の妻はよく冗談を言う。これまでいつも土壇場の計画変更により、奇跡的に自然災害や旅客機の遅れをことごとく回避してきた。

2020年には、新型コロナのパンデミックでロシア政府が国境を閉ざす前の最後の旅客便でワシントンからモスクワに到着した。当初の予定では、4日後の旅客便でワシントンをたつ予定だった。もしこのとき計画を前倒ししていなければ、私はロシアで娘の誕生に立ち会えず、妻と約1年間離れ離れになるところだった。

私がロシアを講義で頻繁に訪れるようになった最初の頃は、入国審査でかなり厳しい対応を受けたものだ。たいてい別室に連行されて、パスポートを念入りにチェックされた。

それでも、この6年ほどは審査をすんなり通過できていた。ロシアの入管職員はいつも親切だったし、一般のイメージに反してにこやかに接してくれた。

ところが、この2月にワシントンからモスクワの空港に到着し、タクシーに乗ろうとすると、乱暴に腕をつかまれた。入管職員は私の荷物をくまなくチェックした。その目には激しい怒りの感情が見て取れた。ロシアのウクライナ侵攻が始まったのは、その数日後のことだった。

そんなとき、ロシア人の親しい友人がある記事を送ってきた。記事によると、アメリカ人の男性がロシア当局に身柄を拘束されていて、結核の疑いがあるのに治療を受けられずにいるとのことだった。

その友人にはいつも、「君はKGBの人間で私の行動を逐一報告するために一緒にいるんだろう」と、冗談を言っていた。彼も、「そっちこそCIAなんだろう」と冗談を返したものだ。

その彼から送られて来た記事を、私は何かの合図だと受け止めた。それまで在ロシア米大使館の警告に従わずモスクワにとどまり続けていたが、このときは胸騒ぎがしたからだ。

ワシントンで欠席できない授業があったこともあり、アメリカに帰国する道を確保するため、アルメニアへの旅客便を予約した。ちょうど、西側諸国の航空会社がロシア行きの便を中断し始めたタイミングだった。

プロフィール

サム・ポトリッキオ

Sam Potolicchio ジョージタウン大学教授(グローバル教育ディレクター)、ロシア国家経済・公共政策大統領アカデミー特別教授、プリンストン・レビュー誌が選ぶ「アメリカ最高の教授」の1人

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国万科、債権者が社債償還延期を拒否 デフォルトリ

ワールド

トランプ氏、経済政策が中間選挙勝利につながるか確信

ビジネス

雇用統計やCPIに注目、年末控えボラティリティー上

ワールド

米ブラウン大学で銃撃、2人死亡・9人負傷 容疑者逃
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 2
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジアの宝石」の終焉
  • 3
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 4
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 5
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 6
    極限の筋力をつくる2つの技術とは?...真の力は「前…
  • 7
    トランプが日中の「喧嘩」に口を挟まないもっともな…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    大成功の東京デフリンピックが、日本人をこう変えた
  • 10
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 3
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 6
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 7
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 8
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 9
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 10
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story