コラム

「ブチ切れたCA」はどうしてネットのヒーローになったのか?

2010年08月16日(月)11時35分

 8月9日、ニューヨークのJFK空港に到着したジェットブルー便はゲートに着く直前でした。その時、CA(客室乗務員)のスティーブン・スレーターという男性は、「ベルト着用サイン」が出ているうちに頭上の荷物を出そうとした女性客と口論になり、その際に荷物が顔に落ちてきてケガをしたりしたそうです。そこで、スレーターは突然「切れて」しまい、マイクを持って機内に「私はこの業界で20年やってきましたが、もうコリゴリ」とアナウンスをすると、緊急脱出装置(救命ボートになるビニール製の滑り台)を勝手に使って機外に去ってしまったのです。

 スレーターは、そのまま堂々と駐車場に停めてあった自分のクルマで自宅に戻ったところ、通報を受けた警察に「迷惑行為、危険行為」の疑いで逮捕されました。ですが、このニュースが伝えられると、インターネットの動画サイトなどで注目が集まる中、スレーターはアッという間に英雄になってしまったのです。その後、スレーターに関しては、フライト前に飲酒をしていた説、9・11やTWA機墜落事件で友人を失っており精神的に不安定だった説、ケンカを売ったのは彼の方だったという説などが出まわって、「英雄視」という現象はやや落ち着いてきています。

 もう少しすれば「真相」は明らかになって行くのでしょうが、どうして第1報の時点でこれほどまでにスレーターが「英雄扱い」されたのか、そこには色々な要素があると思います。1つは世相全般に行き詰まり感がある中、とにかく「スカッとした」という感覚です。景気回復は予想以上にスローダウンし、この週は雇用統計も株価も悲観論一色でした。そんな中「辞めてやる」といって非常脱出したスレーターの行為が「共感」を呼んだというのです。一部の保守系メディアでは、今秋11月の中間選挙は「スレーター選挙」にしてオバマの民主党を叩いてスカッとしよう、そんな言い方すらされていました。

 もう1つは、アメリカの勤め人の心情として「リストラに次ぐリストラ」で一人一人の仕事がハードになってストレスがたまっている中、そうした思いを「スカッと」させてくれたという「共感」です。この事件でも、そもそもお客が言うことを聞かない中で、CAは暴言を吐かれ(その後、暴言もスレーターが先という報道も出ていますが現時点では真相は不明)ても耐えなくてはならない、そんな中で最後に「ガマンをすることを自分から止めた」スレーターには憧れる、そんな形の共感も多かったようです。

 ですが、私が一番だと思うのは、9・11以降の航空業界を押さえつけている何とも言えないプレッシャーを、少なくとも「勝手に非常脱出」することで、「うっぷん晴らし」をしてくれたという点です。何と言っても、今回の事件が起きたのが「ジェットブルー」航空の機内だったというが象徴的です。この会社は、2000年に創業した全くの新興ブランドの格安航空会社です。ネット予約を中心とした安い運賃で人気を集め、JFKの伝統ある旧TWAターミナルを全て専有してハブにするなど格安航空会社の中では有名な
存在です。

 ただ、安さにはウラがあるわけで、例えば2007年には荒天のため空港が閉鎖になりそうになった時点で、ゲートを離れて滑走路に向かっていたフライトを機材繰りのコストを考えて離陸直前にキャンセルにしただけでなく、勤務時間の関係で乗務員は下ろしたものの、乗客はそのまま半日機内に閉じ込めたという事件を起こして批判を浴びています。とにかく9・11以降の「航空業界冬の時代」にあって、サービスを犠牲にしつつ生き延びている会社、そのシワ寄せは客と従業員に同じように行っている、そんな先入観が多くの人にあったのだと思います。

 これに加えて、9・11以降の航空機内の「ピリピリしたムード」への倦怠ということもあるでしょう。高校の修学旅行中に飛行機に乗ろうとして大声を出した若者が搭乗拒否にあったり、短パン姿の女性客が断られる、あるいは家族のトラブルで神経が高ぶっていた女性がテロリストと間違えられて尋問されてショック死するなど、色々な事件がありました。とにかく飛行機では静かにしていなくてはならない、そんなストレスが多くの人にたまっていたということがあります。

 話題が「機内持ち込み手荷物」に関係していたのも、多くのビジネストラベラーの「琴線」に触れたのだと思います。昨今の航空業界では、手荷物をチェックインしてしまうと、目的地で荷物が出てくるまで延々と待たされたり、中には荷物が行方不明になったりサービスの質が低下しています。そんな中、機内持ち込みの荷物の置き場所の取り合いというのもストレスになっています。というのは、狭い機内に大勢の人が持ち込んだ場合は、最悪の場合「機内でのチェックイン」になってしまい、荷物が床下のコンテナに行ってしまう可能性があるからです。そのためにとにかく機内のスペースは争奪戦になるわけで、その「仕切り」をするCAの苦労は多くの人が知っているのです。

 いずれにしても、ストレスの多い社会に黙々と従うのは、アメリカ人には難行苦行というところがあり、そこで非常用脱出装置を勝手に操作して「おさらば」としゃれ込んだスレーターの行為が「ウケた」ということなのでしょう。ただ、このスレーターという人物の運命はどうなるか分かりません。空港を管理する港湾局はカンカンだそうで、安全装置の不正利用は禁固7年というのが相場で、よほど優秀な弁護士が何らかの司法取引をデッチ上げないと実刑は免れないという見方もあります。

 その一方で、スレーターの現在のパートナー(男性)や離婚した元妻(女性)などがTVに出てきて本人の弁護をしているのですが、その効果もあってジェットブルーとしては「アメリカで最も有名なCA」である彼を現時点では「解雇していない」という情報もありますし、会社側は彼の弁護に最大限協力するだろうという説もあります。そんなわけで、既に盛り上がっているこのストーリーは、アメリカ人の大好きな法廷ドラマへと発展してゆく可能性もあるわけで、この人物の運命については、まだまだ話題を呼びそうです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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