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【写真特集】ハンセン病隔離の中の静かな尊厳と「命の記憶」
REMEMBERED LIVES
Photographs by Mikio Suzuki

『煙草を手に』 1975年1月7日
<写真家・鈴木幹雄がハンセン病療養所である沖縄愛楽園を撮影してから半世紀。封印を解かれた肖像と暮らしを収めた写真集『命の記憶ー沖縄愛楽園1975』(赤々舎刊)を、2022年から同地を撮影しつづける写真家・小原一真が語る>
ある主題をただ「重要なもの」と認識して撮影することと、その主題を写真家自身にとって「大切なもの」として記録すること。この2つの間には、途方もない距離がある。
写真は、シャッターを押すという行為1つで瞬時に「作品」となり得る即時的なメディウムだ。その即時性は、時に暴力装置として機能する。特に、何かの問題の渦中にいる被写体への撮影行為は、撮られた人の人生を変えてしまうほどの影響を及ぼすことがある。
だから、写真家は逡巡する。被写体となる人々や風景にレンズを向ける行為そのものの意味を考える。なぜ、撮るのか。なぜ、彼らは撮られなければいけないのか。写真を発表する正当性を写真家が持っているのか。現場をさまよい、出会い、打ち砕かれ、助けられ──。レンズの先にいる人々との人間関係が築かれるなかで、被写体はやがて自分が関わりを持った大切な存在となる。そうして初めて、被写体が抱える社会課題としての主題が、写真家自身にとっても「大切なもの」となる。生まれた写真は、時に主題の枠を超え、人間の存在そのものの尊厳を静かに映し出す可能性を持ち始める。それは写真を見る者にとってもまた、単なる遠くの出来事ではなく、どこかで自分と響き合う像として立ち現れてくる。
『海を見つめる』 1975年1月10日
今年5月、写真家・鈴木幹雄の写真集『命の記憶│沖縄愛楽園1975』が刊行された。沖縄愛楽園は、日本に13施設ある国立ハンセン病療養所の1つだ。沖縄返還から3年後の1975年、当時26歳だった鈴木は沖縄愛楽園を訪れ、約1年間にわたって園での日々を記録した。ハンセン病(以下、現在では差別用語とされる当時の表記「ライ病」を一部使用)は慢性の感染症で、長い歴史の中で強い偏見と差別の対象となってきた。日本では、1907年から患者の強制隔離政策が法制度によって進められた。40年代に入ると治療薬が開発され、治療が可能になったものの、終生隔離を規定する「らい予防法」は96年まで続いた。病気が治癒して以降も、回復者やその家族は差別を恐れる。多くの当事者たちは社会から見えない存在のままであり、ハンセン病問題は現在進行形で当事者たちが解決を望む社会課題である。
しかし、この写真集のタイトルは「ハンセン病」という言葉を含まない。病気にまつわる制度や差別問題ではなく、「命の記憶」を主題として隔離の中の人々の姿、営みが写され、収められている。写真集には鈴木の写真記録が時系列に並び、冒頭には看護師や慰問に訪れる米軍兵士たち、教会の外から窓越しに撮影された入所者たちの姿がある。「ライ病に対する社会の偏見差別を、写真によって少しでも正すことができれば」という思いで愛楽園を訪れた鈴木だったが、初めの頃は入所者に近づいて撮影できずに逡巡していた。
そんななか、最初の訪問から約3週間がたったある日、大きな転機が訪れる。当時の日記にはこう記されている。
「兄さんここにライの写真を撮りにきたんでしょ、これがライよ撮りなさい」と両手を出す。
驚いた。カメラを向けシャッターを切ル。初めて正面から撮る。
この時期を境に、日記には入所者たちの名前が頻繁に登場する。彼らと共に食事をし、酒を酌み交わして夜を明かし、互いの時を重ねていった。
撮影開始から4カ月がたった頃、ある入所者の提案で園内で写真展が開かれた。好意的な反応もあった一方で、ある女性は「こんな写真を出して」と怒り、写真を破った。那覇市で働く兄弟や親族に知られたら困るという不安がその理由だった。むき出しの感情を前に、鈴木は写真を撮ること、それを他者に見せることの意味について苦悩した。別の日の日記にはこう記している。
本当は写真など撮らなくてもいいのだ。
撮られる方はどんな気持ちか。
真正面から人々と向き合い、関係性を築くなかで、鈴木は一歩進んでは立ち止まり、時には後退する。また園内を歩き、語らい、共に食べ、酔い、また歩く。写真は、そうした繰り返しの中で、徐々に人々の表情を捉えていく。
愛楽園滞在も終盤となり、撮影した写真を園の人に渡すためのプリントを制作していた鈴木はこう綴(つづ)る。
悲しいな。(写真を引き)伸ばしたものを見ると。
撮っている時には気がつかなかったその人の命の重さが、ずっしりとこたえてくる。
愛楽園から出ては生きられない。
生きる状況、範囲が限定されているその中で、何を見つめ生きるのか。
「主題」は写真家自身が出会った生身の人間が直面する切実な現実となり、その実感が写真を通して他者にも届いていく。写真を見る者は、鈴木のまなざしと共に歩み、「ハンセン病」という言葉の奥にある一人一人の「命の記憶」に触れていく。
当時、約650人いた入所者は現在70人ほどで、平均年齢は90歳近くになった。その多くは園の外での生活を送ることなく、隔離の中で、人生の大半を過ごしてきた人々だ。ここにある写真は彼らを過去の中に封じ込めるものではない。今を生きる当事者と私たちを結び付け、ハンセン病問題との向き合い方を静かに問いかける。
Photographs from "Remembering Lives Lived Wholeheartedly ─ Okinawa Airakuen 1975" by Mikio Suzuki, published by Akaaka Art Publishing, Inc.
鈴木幹雄『命の記憶 ─ 沖縄愛楽園1975』
Book Design:町口景
企画・監修:沖縄愛楽園自治会
編集:沖縄愛楽園交流会館
発行:赤々舎
Size:H262mm x 214mm
Page:248 pages
Binding:Hardcover
Published in May 2025
ISBN:978-4-86541-202-4
撮影:鈴木幹雄 1949年東京都生まれ。幼少期に福島県へ移る。IN通信社、デイリープレスなどにカメラマンとして勤務。この作品は、5月に出版された写真集『命の記憶ー沖縄愛楽園1975』(赤々舎刊)に収録されている。現在は陶芸家として活動。
写真集「命の記憶─沖縄愛楽園1975」発刊記念写真展開催中(詳細はリンク先の沖縄愛楽園交流会館オフィシャルホームページをご覧ください)
サテライト写真展(TOBICHI東京):開催中〜2025年7月13日(日)
文:小原一真 1985年岩手県生まれ。大阪府在住の写真家、ジャーナリスト。ロンドン芸術大学フォトジャーナリズム修士課程修了。ウクライナのチェルノブイリ原発事故、太平洋戦争、東日本大震災と原発事故など、災禍の中で見えなくなっていく個をテーマにした作品が国際的な写真賞を受賞し、高い評価を受けている。自身も現在の沖縄愛楽園を撮影し、記録を続ける。
次ページ:なぜ今「ハンセン病」を撮るのか、写真家・小原一真が目指すもの
【連載21周年】 Newsweek日本版 写真で世界を伝える「Picture Power」
2025年7月1日号掲載 (ウェブでは都合により一部の写真のみ紹介しています)
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